0806「壁に焼き付く影」

 日付を見るたびに薄らときのこ雲が浮かぶような一日だった。平成最後のこの日なんですね。
 感傷的になるわけではないし触れるのが難しいことなのかもしれないけれど。変わらず仕事をしていたけれど。
 何もかも失ったところからもう一度生まれ直したような国に生まれて、今やとても恵まれているのに、どこか常にさみしいのは何故だろう。ちゃんと懸命に生きているのだろうか。
 何度か広島には訪れているけれど、小六の修学旅行で行ったきり原爆資料館には足を運んでいない。気付けば随分と昔の記憶だというのに、廊下を抜けて少し開けた部屋の、右手側にあった(はずの)蝋人形の衝撃というのは色濃く残っていて、ビジュアル面での訴えというのはとても重要だと思っている。多少脳天を叩くくらいのものじゃないと平和呆けした私達には響かない。とはいえあの蝋人形は撤去されたという話で、回避可能ならばできるだけ痛みを避けようと世間が動くほどに、回避すべきではない痛みまで無くなってしまっているような気がする。これに限った話ではないけれど。「見る・見ない」や「やる・やらない」を選択できる自由すら最初から奪うのは時に暴力的。
 とはいえ偉そうに言えるような人間ではまったくなく、明日やってくるいつも通りの日常を信じて疑わないし、毎日を生きることで精一杯だし、それもまたある種幸せなんだろう。
 今日は夕暮れ時に退社して、田圃や低い建物群の上空を、薄い雲が地平と平行に伸びていて、空は柔らかな萱草色をしていた。いつだかのひなげしを彷彿させる色をしていた。美しい空だった。美しい日であってくれて良かったと思った。
 今日もよく頑張りました。明日も生きていきましょう。

0805「くろらなけい」

 地道に地道にやってるんですがアラン達が生き生きしてるトレアスもなかなか良かったんですがリコリスに辿り着いて漸く圭がまともに出てきたのでウワーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーとなりました読者兼筆者のうみさん。
 途中でのメインキャラの加入って良いですよね。
 自分で作ったキャラに言うのもなんですが可愛い奴です。
 明るいキャラクターは空気を軽くしてくれて。
 クロは基本的に他人に対してぶっきらぼうで、アランともラナとも喧嘩ばっかりしてるんですが、圭との会話のテンポ感が良くて、リコリスは当時の私がいかに楽しんで書いているかがものすごくよくわかりますね。クロのデレに引くいい時代だな……まだホクシアに行っていないので純粋に楽しいだけです。
 という勢いに任せてめちゃくちゃ久しぶりにうちのこを描いたんですが、一発書きでいろいろとバランスが崩れてるのは許してほしいんですけど、こんだけ仲良くしてる姿なんて本編でも無いキャラ崩壊も辞さぬ願望の塊。

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 リコリス編楽しいぞ!文章も読みやすくなってきました優しい!
 うちのこをこれからもよろしくお願い申し上げます。

7月の読書記録・映画記録

読書記録

・ビロウな話で恐縮です日記 三浦しをん
・ひとり暮らし 谷川俊太郎
・じっと手を見る 窪美澄
・木漏れ日に泳ぐ魚 恩田陸
空中ブランコ 奥田英朗
・河童 芥川龍之介(※ブンゴウメール)

映画記録

万引き家族

 全然読めなかった六月よりはマシに。エッセイを二作読んでみたり。三浦しをんの中身が面白い……。締め切りは地獄だけれど人生を生き生きと過ごしているようでなんだか羨ましくなる。あとBLに浸りたくなりました。面白い……。
 窪美澄直木賞が発表される前に読みたかったのだけれど、間に合わなかったことを覚えている。結果的には逃したのだけれど、私はこの人の文章が割と好きな方なので今後も応援している。けど直木賞って感じでは……無い……かなあ……などと……いや直木賞のなの字も理解していない文学ド素人だけど……受賞作は読んでいないけど……晴天の迷いクジラやふがいない~には負けるかな……という印象。私がこの二作を好きすぎるだけなのかもしれない。水やりは~も好きです。
 窪美澄を読むたびに、この人のねっとり汗ばんだような文章や人間性は、恋愛は、どうしたら生み出せるんだろうなあと思う。決してセ文が良いとかそういうんじゃなくてですね、いやその官能もまた癖のある味なんですけど。
 真夏の雨の匂いのする文章だとイメージしている。好き嫌いはあると思われる。
 ちょっとご無沙汰だったけれど、読むと、ああ窪美澄の世界だなと。粘着質な人間の世界に私も絡まれて、ページを捲ってしまう。好きなんですよねえ。

 万引き家族については既に感想を述べたので省略。
 シンゴジラとか、アマゾンプライムで色々映画が追加されたそうですね。最近ちょっとだけドラマも見たりするようになり、少しずつ時間が延びて、映画まで辿り着けるか。トータルで考えれば何話も続けるテレビドラマやアニメよりも、長くても3時間ほどで終わる映画の方が短いんだけれど。

 限られた休日の時間を執筆にあてることが多くなってきたけれど、8月もインプットしていきたいものだなあ。
 そいえば夏の文庫フェアも七月から始まったけれど、何か買ったりしましたか。私は上記の谷川俊太郎のひとり暮らしがその一つで、今日も二冊程買ってきました。ひとり暮らしは、割と昔のエッセイ文を集めているのですが(平気な顔で私の生まれる前に書かれたものが出てくる、そりゃそうか)、読むと谷川俊太郎の深い思考に触れられる。「ことばめぐり」の項の「愛」が特に好き。
 仕事帰りは疲労困憊だけれど、時間を作ってどんどこ読んでいきたい。
 あと読んでいた気になる文章を書き留める読書記録も手帳で始めてみた七月。八月はインプットもアウトプットも充実したものになりますように。

0729「大体これ何年前の文章だと思っているんですか」

 しろ闇一挙文章修正計画、ちまちま、ちまちまと進んで、トレアス編まで。今日の進捗はほどほどに良い感じ。本当はトレアス編を終わらせたかったけれど。トレアス編終わってもようやく全体の三分の一とかいう……(まあ100話まで全体として他三分の一はまるまる首都編とかいうそもそも頭おかしい構成になっているけれど)。
 道のりは遠い。
 ウォルタ・バハロを抜けると、トレアスは比較的読みやすくなってきたような印象。
 これを読んでどこを面白いととるかは人によりけりだろうけど、私は前にも言った通り、しろ闇に関しては物語を楽しむ・大好きだと愛情膨らむ姿勢と世に出している謎の恥や力量不足との間で葛藤していて、なかなか自分に対しても他人に対しても100%純粋にこれ面白いよと手を叩いて褒め称えられないんですが、バハロでブレットがクロ達と近隣の川で対峙したあたりから物語としての面白さを感じつつあり、それはキャラクターが増えていったりそれぞれの思案だったり言葉だったりがぶつかりあう面白さなのだなあと思う。ウォルタの激動は大きな物語のたった序章に過ぎないので……。クロとラナだけでは未熟とまではいわないけれど、特に最初はぶつかりあうことばかりなので、全然安心感が無いんですよね。読んでいて不安の方が大きくなるというか、(文章的な意味でもキャラの感情や会話の意味でも)空回っているのが浮き彫りになっているというか。それは仕方のないことなんだけれど、目に余る部分はちょっとでもましにできたらという思いで多少修正をかけています。
 ブレットにしてもアランやオーバン夫妻にしても、純粋にクロ達を支援するような存在って、動かしやすいし安心感を与えるんだろうな。ブレットに関してはクロを、というよりも白を助けるために動いたのだけれど……。社会人になってからこういう「良い人」を読むとなんというか、当時の自分から生まれた「優しさ」や「懸命さ」に胸が詰まったりします。
 どうにせよ、後々に大きく関わってくるキャラクター達ばかりなので、進めていると寂しさだったり懐かしさだったり、少なからず色んな感情がこみ上げてきます。 読み進めたら面白くなるのは、そりゃ当たり前だよなあ。
 はあ~どんどこどんどこ突き進みたい。
 創作肯定ペンギンちゃんを傍に置いて常に励まされていたい。
 更新予定文を書きたい、読みたいという思いも強いのだから足踏みしていて焦りだけが募ることもあるけれど、どれだけ意味がある行為なんだろうなとは思いながら、少なくとも私にとっては意味のあることだから、のびのびと読める環境に整えてやりたいものですね。
 …………………明日も休みだったらいいのにナー!

0727「ゆる書写まとめ」

 気恥ずかしいけれど自分の字が相変わらずそれなりに好き。
 しばらくやらなかったり思い出したようにペンをとったり、気ままに続けている。前より慣れてきたかな。ぼちぼち、のんびり、これからも。

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0726「真夜中のミルクアイス」

 と銘打たれたイラスト展示会が大阪・中津のアトリエ「空白」で開催されていたので行ってきました。
 日向海子さん・くぎさんという方々の二人展で主に透明水彩を使って活動されている方々なのですが、去年あたり、同ギャラリーで知った作者様方でした。普段もツイッターで作品を癒されているのですが、このたびがっつり原画を拝見できるということでお邪魔させていただきました。
 平日の昼間は流石に人も少なく、じっくりと楽しむことができました。

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 DMなのですが、この一枚がすべてを物語っていますね。
 真夜中のミルクアイス。
 現実は喧噪や煩いにまみれていて自分を見失いそうになってしまうけれど、夢の中のような優しさや切なさを形にして、それが少しでも誰かの中に残ってほしい、きっと彼女たちが忘れかけてしまうものを覚えているよ、という願いの込められた展示。本当はもっと美しい言葉で展示コンセプトの詩が綴られていたのですが……。
 真夜中という静けさの中に佇むような、ミルクアイスが溶けて、混ざり、浸透していくような心地良さ。優しい絵の数々に、目を凝らしながら、一つ一つ楽しませて頂きました。
 一応写真は可ということだったのですが、あまり波風(?)を立たせたくない性分なので特に撮らず。ハッシュタグ真夜中のミルクアイスでツイッターで検索かけたらいくつも展示の様子の写真が出てくるので良かったら見てください。アトリエ「空白」さんには何度かこっそり伺っているのですが、来るたびに内装が変わり、その展示コンセプトに合うよう造り替えられるこだわりの展開をしております。今回も、一階は明るくシンプルに、広々とした空間を囲むように多くのお二人の絵が壁に並べられていましたが、二階は少し薄暗くなって、中央にはドライフラワーの乗ったブランコ。奥には一つ部屋が作られ(部屋が増設されてる展示を初めて見た衝撃よ)、小さな部屋でごく小さな絵がはじっことはじっこ、互いが向き合うように展示されていました。二階は真夜中の静けさをイメージされたということで、やや暗いと絵が少しだけ見えづらくなってしまうのですが、作家さんのご意向という話(をしているのを横で聴いていた)なのでした。少し暗い分特に目を近づけてしまいました。ブランコは真夜中の公園をイメージしているということで、どこか懐かしいような、自分の中におだやかに溶けていくような空間でした。その話を(横耳で)聴いてから改めて見るとまた違った捉え方をできて楽しかったです。
 はかなさ。儚さ。
「儚」という漢字には「夢」が組み込まれており、お二人の「夢」の欠片のような人々を描いた作品には、甘い優しさと共にさみしさや切なさ、そして儚さが漂っていました。さみしさ、切なさ、儚さ、でも決してマイナスイメージではなく、私たちの誰しもが生きている限り必ず伴うこれらの感情に、隣で寄り添うような類であり、だからこそ心にしみこんでいき、優しさに繋がるのだなと思いました。
 絵や文や映像等形に寄らず、作品というのは、特に作品に漂う空気というのは、得てしてご本人の生き様や心持ちが反映されるものだと考えておりますが、ご本人様方にはお会いしなかったものの(お見かけしたとしてもコミュ障をこじらせているので話しかけるなどはできませんが)それを垣間見ることのできたような、そんな展示でした。どっぷり理解できたとは烏滸がましすぎて言えない。
 昨日、ちょうど仕事がとても大変なことになって、すごくへこんで、帰って夕食を食べたかどうかもあやふやなまま気絶するように寝たような一日だったので、余計に胸打たれるものがあったのかもしれません。
 大阪は少し足を伸ばさなければなりませんが、行って良かったなあと心から思える展示会でした。会期はまだもう少し先(次の日曜)まであるので、興味がございましたらぜひ行ってみてください。私もできるならもう一度行ってみたいですが次行くとしたら最終日になって、そうなるとどう考えてもけっこうな人が来られると思うのでもう遠慮しておこうかなと……(脆弱)。いや、ゆっくり時間をかけて見られる平日、万歳。充分堪能したので満足です。
 何枚かポストカード等も買いました。展示で特に印象的だった絵や、かつて展示でお見かけして好きになった作品などを。正直なことを言うとこの絵のポストカードやグッズがあったらいいのになあ……というのもあったのですが、売り切れたのか元々作られていないのか、前者ならばポストカード等の形としてのご縁は無かったということでしょう、原画を堪能したので大満足です。やはりアナログにおいて原画に勝るものはありません。色も、絵の具の厚みも、紙の質感も。良い物だ。本当に。ならばいっそ原画そのものをお迎えしようか迷いましたが手元にそこまでお金が無かったのと私のずぼら生活に組み込んでいい空気ではない気がして、気合いも足りず……。……もうちょっと悩みます。

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 はあ、可愛いですね。
 手元に残ったもの、そして胸に残ったものを大切に、また明日からも頑張っていこうと思ったこの今現在の感情を文字に残しておこうと思った次第です。今後のお二方のご活躍をこれからも応援しながら、今日はここまで。日々に忙殺されて忘れていたものを思い出し、幸せに浸った休日でした。また水彩、やりたいなあ。

0722「万引き家族を観て得も言われぬ喪失感を味わった話」

 ネタバレは控えての感想です。

 万引き家族を観た。
 かねてから観たかったのだけれどなかなか足が向かず、そうだ行こうと思い立って、午前中の用事を済ませたあとそのまま映画館へ。上映が始まってから一ヶ月以上は経っていると思うけれど、席は殆ど満席状態で驚き。
 家族ものには弱い。
 不安定な幸せと、それが崩れていく様に弱い。
 こんな趣味でやっているご身分、偉そうなことは言えないけれど、幸せを描くことは割と簡単だと思っていて、でもその幸せがなんというか、こみ上げるようなやわらかな幸せ、家族の形だった。「お金」と割り切れないあいじょうだとかきずなだとか、彼等は血の繋がりは無くとも、彼等の間を繋いでいるのが犯罪であっても、彼等は確かに家族だった。
 ばらばらになることは、目に見えていた。いくら幸福であっても、彼等がしていることが犯罪である以上、いつか必ずボロが出て、崩壊していくことなど、目に見えていた。でも途中からは切実に祈っていた。崩れなければいいのに、と。
 生活に疑問視し始めるあたりがまた泣けてくる。
 映画というのは、というより物語というのは、誰かと誰かの人生の動きのほんの一幕を描くに過ぎない。時代を切り取っているに過ぎない。何が言いたいかというと、物語には必ず終わりがやってくる、しかし中の登場人物の人生がその時点で「はい終わり」となるわけではなく、星が爆破でもしてすべてが無に帰す終末を迎えない限りは、登場人物のこれからは続いていくのだ。万引き家族の終わりは、終わりではなかった。いや、この「万引き家族」という作品としては確かに完結したのだけれど、それぞれの人生の今後があまりにも気になってしまう、そんな終わり方をしていた。彼等は幸せを知ってしまった。それが現実逃避した形であっても。それぞれのこれからはどうなっていくのだろう? 想像力を膨らませられる。いい意味でのもやもやを残して、静かなエンディングが流れ、胸がからっぽのままエンドロールを眺める。
 涙もろくなっている最近だけれど、それはもう何度も号泣してしまいまして、明らかな泣くポイントがあったかというとそうではないのに、あれだけ泣いたのは、作品全体の雰囲気や流れ、没入感に心がうわんうわんと響いてしまったからだ。どこか懐かしいごちゃごちゃとした風景。狭い部屋に縮こまるようにして身を寄せて生きるかぞく。抑え込んでいる感情や目をそらしていた現実が浮かび上がりかぞくの形が変容していく構成。登場人物達の思い。胸を揺さぶって、響いて、離さなかった。気付けば作品の泥沼の中に沈み込んで抜け出せなくなっていた。
 手を叩いて最高でしたと叫ぶような作品ではないと個人的には思う。私の中に残ったのは大きな喪失感だ。それは私にとっての拍手喝采の形の一つだと思って欲しい。
 もう一度、スクリーンで観たい作品になりました。
 あまりにも呆然としすぎてパンフレットを買うの忘れてしまったのが悔やまれるので(売り切れてるかどうかは知らない)、それを買いに行くついでとしても。
 ああ。
 思い返してもあの作品についてどう形容したらいいのかわからない。
 静かな幸福。
 静かな崩壊。
 ああ、好きでした。
 まさしく「そして父になる」を作った監督の作品でした(「そして父になる」しか多分観たことがない……すいません……)。
 あとなんといってもメインキャストの家族一人一人がほんとうに素晴らしい……子役も本当に素晴らしい演技だったので……曲もシンプルながらとても良かったので……是非観てください……夏は多くの話題作が出てきますが、今日の人の雰囲気を観ていると恐らく各所でまだやっているだろうと踏んでいるので万引き家族、何卒よろしくお願いします……そしてお口に合えば私と意気投合してやってください……。