0507「道端に咲いていた花のこと」

 GWは3日のみ出勤して、4日からは3連休をいただいていた。家族がやってきたのでお給金を使ってご馳走したり、親戚の家に行ってゆっくり話をしたり美味しいものを食べたりしていた。この連休で自分自身に関することとして大きな変化といえばプリンターを買ったことなのだけれど、それは追々ネタが切れたら話そうと思う。

 連休明けというのは往々にして憂鬱なものだ。世間では連休など無かったと言う方もおられることはよくわかっているが(誰かが休日に働いていることで休日を休日として過ごしている誰かが羽を伸ばせていることを忘れてはいけない)、それはそれこれはこれで、兎に角私は連休だった。そして今日は連休明けだった。そして寝坊をした。連休中はスマホのアラームを切っていて、それを設定するのを忘れてしまっていたのだった。とはいえ、いつも弁当の準備に加えて早めに着くよう起きているのであって、更に勤務先は近いため、運良くそれでも充分間に合う時間ではあった。しかも雨ときた。自転車が使えないので仕方が無く歩いて出勤していた。
 今日、奄美諸島での梅雨入りが報道された。まだ五月も入ったばかりで梅雨というにはこの地域は早すぎるけれど、今朝はしとしとと地味な雨で、梅雨を彷彿させるようなじっとりとした天候だった。どことなく空気は灰色で、建物も道路も色褪せているような視界だった。雨、とりわけ梅雨の時期は紫陽花がきれいなのと誕生日が被るので嫌いではないのだが、今はまだ梅雨ではないし、タイミングがタイミングなだけに、寝坊をしたこともあったということもあって足早ながら、あらゆる憂鬱を抱えてやや俯き気味に出勤していた道すがらのことだった。
 灰色でどよんとした空気の中、ぱっと目につく柔らかなオレンジ色の花が道端に咲いていた。およそ十輪といったところだろうか、ひっそりと、空き地のはじっこの方、アスファルトの隙間から伸びていた。雨に打たれ、雨水が重たげに覆い被さって花はどれ草臥れたように下を向いていた。それでもその色は、雨で洗われているかのように、優しげで印象深いものだった。
 世に言う雑草の類であることは容易に想像がついた。ひなげしだろうかと思った。こんな住宅街の道で。
 前述した通り寝坊をした身だったし、足を止めて観察するほどの時間の余裕も無ければ、ロングスカートを履いていたのでしゃがみ込んで汚れるのも嫌だったし、人気が少ない道とはいえ職場が近づいている中なんとなく気恥ずかしさもあったので、写真は撮らなかった。けれど下向きの気分、下向きの視界に紛れ込んできたそれは自分の胸にも色を残していった。
 帰ってからもまだその絵が記憶に残っていたので、調べてみた。

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 恐らくこの花だ。「ナガミヒナゲシ」「長実雛罌粟」。四~五月で時期も被るし、この淡赤色、同じ見た目をしていた。ひなげしってこんな漢字なんだな、可憐な見た目と違って難しげ。写真のひなげしはすっくとどれも天に向かってまっすぐ伸びているけれど、私の見たものはどれも俯いていて、写真を見ればやはり茎は繊細に細く、確かにこれでは雨水の重みに耐えられないことが窺える。
 どうやらネットで調べてみると容姿とは裏腹にかなり悪評高い野草らしく、繁殖力が非常に強いらしい。駆除対象として指定されているわけではないけれど、爆発的な拡散力で日本の野草を駆逐してしまう恐れがあるそうだ。一方で、見た目は可愛らしいので観て楽しむために園芸している方もおられるらしく、その気持ちはよくわかるような気がする。私はガーデニング関連にはひどく疎く大きな興味も無いのだけれど。ただ、かわいい顔して危険で腹黒いと断罪してしまうには勿体ないと思ってしまう。甘いだろうか。恐らくあの雨の中、連休明けの朝、灰色の空気、いろんな要因の中で佇んでいて見つけてしまった妙な偶然がそう感じさせてしまう部分もあるのだろう。
 辞典の写真やネットで写真を見ると、あの時少しでも足を止めて写真を撮っても良かったかもしれない、とも思う。
 ならば明日は同じ道を使って写真を撮ろうか、などと考えて天気予報を確認したら、明日も明後日もどうも雨が続くらしく、その後も曇りが続いて、五月らしくない、梅雨入りもしていないのにどうも梅雨に入ったような天気が続く。雨水に打たれているナガミヒナゲシはそれはそれで風情があったのだけれど、どうにも雨だと早く室内に行きたいという気持ちが先行してしまいそうだ。寝坊せず、気持ちが向いたらスマホでも取りだそうと思う。とりあえず、明日はズボンを履いていこう。
 特に意味はない、ただの日常のはしくれ。地元に比べて建物の背が高く密集しているために空が遠く、つい下の方を見てしまうけれど、偶にこんな出会いもあることを思えば、別に地上だって悪くはない。そんなことをこの地域に来てから何年、今更のように気付いたのだった。
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 ところでこのナガミヒナゲシが載っていた本は「草の辞典」というもので、装丁はもちろんのこと文庫サイズで全体的に可愛らしいのがツボなのだけれど、中身の、写真と脚注も春夏秋冬で分けてあり、七草粥などコラムも挟まれていて時折読むと安らぐ。これも昨日記事に書いた「美しい日本語の辞典」と同じく手持ち無沙汰感は否めないのだけれど、こういう時に手元にあってくれると助かる。辞書って、まあ、読み物としてぼんやり眺めているのも楽しいんだけど、そういうものなんだよなあ。同じシリーズで「空の辞典」とか「水の辞典」とか「星の辞典」とかも確かあったんだけど、いつか購入してもいいかもしれないと検討するくらいにはそれらも素敵だった。
 本屋で見かけたら試しに触れてみてほしい。おすすめです。