0527「ひなげしと最近のこと」

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 おわかりいただけるだろうか。
 以前このブログで話をした道端に咲いていたひなげしがこれ。詳しくは五月七日のブログ記事を参照。
 今度は立ち止まって写真を撮ろうと思うとかのたまっておきながら一向に実行しなかったのだけれど、これは確か傘もささなくていいくらいほんのぽつりぽつりと小雨が降っていた朝、歩きだったのと周りに人がいなかったのでさっと撮ったもの。もっさもさしてる。ほぼ歩きながら撮ったので適当なのは見逃してほしい。実は今日のものではなくて二日か三日くらい前の写真なのだけれど、どうにもブログを書く時間が撮れなかったり気力が無かったりで。ようやく顔を見せることができたのだった。
 毎日このひなげしが咲いている道を通っているのだけれど、なんだかんだ、代わる代わるいくつか花が咲いている。咲いては落ちて、また咲いて、を繰り返して、一ヶ月ほどが経とうとしているのだろう。自転車で前を通るたびに穏やかなオレンジ色を視界の端にとめては仕事に向かっている。さっと横切るその瞬間に花の数を数えたりする。
 昔、中学生の頃。地元の登下校路に川があるのだけれど、その頃も毎日自転車を走らせていて、その川を大きな下水路のようなコンクリートで固めた円筒(うまく言葉に表せない)が横切っている。私の地元は強い雨が降るとすぐに川が氾濫するような、水害に対して脆弱な場所なのだけれど、そこは晴れていれば当然穏やかな川だ。雨量が多いとその円筒は荒々しく高くなった水面の下に隠れてしまうのだけれど、普段は上三分の一ほど見える。そこに、昼間から夕方にかけて、太陽の出ている間亀が甲羅干しにやってくるのだった。多分ミシシッピアカミミガメ(地元は彼等に完全に浸食されていると思われる)で、その数多ければ二十匹ほどそこにやってきて、それはもう円筒の上に溢れるほどたむろしていた。
 なぜ急に亀の話をし出したかというと、中学生の私はこの川を自転車で走り抜けるたびに、その一瞬の間に亀の数を数える謎の日課があったからだ。特に意味は無い。記録をするわけでもない。ただ数えるだけ。今日は少ない、今日は多い、その程度しかない。けれど毎日、亀がいる日は欠かさず数えていた。冬は日が短くなり寒くなって全然見かけないのだけれど、暖かい時期や夏の暑い時期はたいていいる。春が近付いて亀を見ると今年も亀(春)が来たなんて感慨に耽ったりしていた中学生時代を過ごしていた。高校も同じ通学路ではあったけれど基本的に遅くなる日ばかりだったので亀との遭遇率はがくんと落ちた。しかし、今でもその名残で帰省してその川を通るたびに亀はいないか見てしまうし、いれば数えてしまう。癖というのは恐ろしいものだと思う。
 今、ひなげしの花をつい数えてしまうのもまた、その時の名残の他無い。
 謎の日課は今でも続いていて、恥ずかしいのでそれは誰かに声を出して話すようなことでもないのだけど、今ネットの大海に向けて自分の変な癖を発信しているのは独特な感覚。誰かしらあるでしょう、変な癖。私、ごく普通の一般人ではあるしできるだけ普通でありたいまっとうでありたいと思っている人間なのだけれど、良くも悪くも人とずれているところがあり、この数え癖はその変な部分のうちの一つ、代表的なもものだなと客観的に評価している。矯正するほどのものではないしある意味自分では個性と認めている部分でもあるのだけれど。

 なかなか日々は大変です。覚えることは膨大。五月は少しだらけていた期間もあったのだけれど、ちょっとスイッチを入れ直しているところ。そうなるとどうしても家に帰ってからも復習とか勉強に時間を割くことになる。趣味のやりたいことではなく、仕事関係のやりたいことややらなければならないことを優先することになる。でもそれは仕方のないことだろうと思うし、割り切っている。求められているレベルに達するにはそれなりに努力をしないことには辿り着かなくて、身に付いていないと思うのなら身に付くまで繰り返すしかない。驕らず、過信せず、誤魔化さず。
 ツイッターで仕事が落ち着いたら趣味を再開しようと考えている奴は絶対に戻れない、最初から趣味を生活に入れることを意識しろ、といったようなツイートを見かけたことがあって、社会人になる前は両立させた日々を送りたいと考えていた。現実はそううまくはいかないなあ。ちょっと前はそれが辛かったんだけど、現在は受け入れつつあって、それって良いことなのか、悪いことなのか。
 でもじゃあ無趣味の生活を送っているかというとそういうわけじゃなくて、アニポケはばっちり見ているしむしろもうすぐ追いつきそうだし、ブログネタも拾いながら生きているし、なんというか仕事関連もやりたくないことでは決してないわけだ。まああまりにも疲れていると家での勉学は苦痛なんだけど。
「今」やるべきことを、「今」やらなくてどうするの。
「今」やりたいことを、「今」やらなくてどうするの。
 と、自分に発破をかける意図もこめて。やりたいことには優先順位をつけています。優先順位の高いものから。低いものは、休日の時間のあるときに。そうしていないと、こころが乱れるから。ああ、今週もまた始まり、五月の終わりと六月の始まりがやってきますね。五月の終わりには、自作のとある子が誕生日を迎えます。お祝いを用意できるかはわかりませんが用意したい。ちなみに六月には自分の誕生日が控えています。わはは。太宰の誕生日でもあり、桜桃忌でもあるその日です。
 さて、新年度が始まってもうすぐ二ヶ月経とうとしている今、このブログを読んでいるあなたは、どんな生活を送っていますか。元気でやっていますか。元気だといいな。また今週も、頑張っていきましょう。