0917「宮島・広島市録/生きた墓標」

 9/16~17にかけて広島に旅行してきたのでその記録。
 今回の主旨は仲が良かった大学の同期で集合すること。私ともう一人の関西の友人で、卒後広島に帰って就職した子に会いに行ってきた。半年を短いととるか長いととるかは人によるだろうけれど、まあそれぞれ波瀾万丈に濃密な日々を過ごしていて、いろいろと話しているとよく頑張っていていっぱい悩んでもいて、お互い仕事踏ん張ろうなという。話の内容は仕事のネタが多かったけれど、中身は大きく変わることもなく、大学時代に戻ったような気分でした。

 一日目。宮島。
 宮島は随分と小さい頃に行ったのだけれど薄らぼんやりとしか記憶していなくて、殆ど初見の感覚で厳島神社へ参拝に。

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 まずは焼き牡蠣。いろいろあったけれど適当に選んだ店で。写真でも伝わるこのぷりぷり感。冬季でもないのに。身が詰まっていて本場の本気を見る。噛んでじゅわっと広がる汁があつあつ。塩で軽い味付けがしてあってそのままでも美味しかったけれど、ポン酢やレモンをかけても味が引き締まって簡潔に申し上げてやばい。食べきってから殻に残った汁を飲み干せば牡蠣のエキス。最高。牡蠣好きで良かった。

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 続いてその隣の店で広島県産のレモンと広島で作られたらしいジンのカクテルをいただく。レモン生ビールやテキーラとも迷ったのだけれど。昼から飲む酒は最っ高だよな。とはいえ殆どジュースみたいな感じだったのでそれほど酔いが回ることはなく、気分を味わった感じ。ちな他の二人はお酒に弱いのでフレッシュレモンジュース。最近やたらと推されている瀬戸内レモン。広島は全体的に商法がうまいなと思う。私の某地元も見習って欲しい。
 飲み物で一気に腹が膨れたのと口の中が甘くなったので揚げ紅葉や穴子飯は一度諦め、厳島神社へ。

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 時間帯としてはお昼頃になったのだけれど、ネットで検索したところ大体水位253cmほどで、満潮ではないけれど250cmを超えると大鳥居が瀬戸内海に浮かんでいるように見えるそうで、ぎりぎりではあるけれど、確かに丁度良い景色。鬱蒼とした曇り空がかえって雰囲気を出していてたいへん好みだった。本殿はかなり水が引いていたのでそちらは完全に陸地だったけれど、大鳥居に満足。鮮やかな朱色が印象的。人は多かったので撮影スポットでは並んだりもしましたが、激混みというほどではなく、許容・予想範囲内。干潮や満潮の時間帯だったらまた違ったのかもしれないね。
 厳島神社から流れるように弥山へ。

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 鹿もいたよ。

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 ロープウェーを乗り継ぎして、片道30分ほどの軽い登山(普通の格好で行ってもまったく問題ない程度)。普段の運動不足が祟って軽い息切れ・足ぷるぷるのダブルコンボを喰らいながら、山頂へ。曇り空だったので四国まで見えるような爽快な景色とはいかずとも、かなり遠くまで見えたし、牡蠣の養殖場もわかったし、山頂で受ける風はやはり爽快で、あの達成感というのが山の醍醐味だ。瀬戸内海は波が殆ど無く穏やかで、海というか湖のようで水平線が無いのだけれど海であって、島が点在している風景が良い。
 ハワイのダイアモンドヘッド登山や、大昔沖縄の伊江島というところの城山(ぐすくやま)に登った時も思ったことだけれど、島の山というのは本当に面白い。山頂に来て、眼下に広がる、登ってきた森のすぐ向こうに、海がある。山と海と空が視界で共存している。その景色が好きだ。
 下山。何気にまともな昼ご飯を食べていない割に16時。運動して身体がハイになっており登山中はそれほど空腹感を感じなかったのだけれど(実際なかなかカクテルのおなかたぷたぷ感が消えなかった)、降りると流石に多少の空腹感。ただ、夕食に地元民推しのお好み焼き屋が待っているのでそれほど腹に入れるわけにもいかず、穴子飯は諦めてどうしても食べたい揚げ紅葉を選択。ただの揚げ紅葉でも良かったのだけれど、おすすめだという揚げ紅葉ソフトをいただく。

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 人生初の揚げ紅葉だったのだけれどこ~れが想像を遙かに上回って美味しいのなんのって。揚げのぱりぱり、中はしっとり。食感ってめちゃくちゃ大事だ。ソフトに付いている揚げなのでほっかほかというわけではないけれど、揚げ紅葉の温かさとソフトクリームの冷たさがマッチして飽きがこない。ちなみに私が食べたのはバニラソフト+はちみつ+レモン揚げ紅葉の新商品で、まあ間違いの無い組み合わせで、もみじまんじゅうのレモン味というのも初めて食べたのだけれどさっぱりとしていて食べやすい。焼き牡蠣も美味しかったけれど揚げ紅葉はほんっと想像を遙かに上回って美味しかったのと他で食べられないレア感もあって大満足、人にお勧めできる……もみじまんじゅうを揚げる、発想に乾杯。天才の発想だよ。あれを食べにまた行きたくなった、宮島。

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 帰りの高速船からの景色。ちょうど夕暮れ時にさしかかろうとしていて、この日は雲が分厚かったのだけれど、その隙間からこぼれる日差しが幻想的で、雲一つなく晴れている時の空もいいけれど、厚い雲の空というのも、雄大でたいへん良いものだと改めて。雲の演出って素晴らしいよなあ。こうも広がった自然の景色を見ることも普段なかなか無いので、癒しだった。静かな瀬戸内海を、ゆっくりと堪能して広島市内へ戻る。

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 夜はお好み焼き。生ビールを添えて。地元民の推しというだけあってボリュームもあってめっちゃくちゃ美味しかった……五ェ門というところで、紫蘇・葱のアクセントや広島風お好み焼きならではのそばやイカ天がやっぱりうめー!紫蘇がねーとても良かったんだよ-!!冬季限定の牡蠣料理で牡蠣味噌バター炒めというやつが地元民のとりわけ推しらしく、本当はそれを食べてもらいたくてこの店をチョイスしたそうなのだけれどやはり冬季限定なので無かった。それを食べるには冬にもう一度広島に行く他無い。
 広島の友人は次の日用事があるためこの日限りということもあり美味しいごはんと共にゆっくりがっつり心ゆくまで話をして、破裂しそうな腹と弩弓カロリーを引っさげて一日目は終わり。夜はビジネスホテルの大浴場で登山疲れの足を軽くマッサージし、樹木希林訃報に衝撃を受け、最終的にあまりに眠すぎてあっさり寝落ち。

 二日目。広島市内。
 この日は二人で行動。正直関西組は完全にノープランでこの旅行に臨んでおり、一日目の宮島も「宮島に行きたい」と行っただけで案内等々は完全に地元民に任せていて、二日目のことは一日目にぼんやり考え当日決めたという。しまなみ街道とか鞆の浦とか呉とかいろいろ案は出たものの、次の日が仕事ということもあってほどほどのところで切り上げて帰ろうという話でまとまり近場で過ごすことに。コンセプトはゆっくりしよう。他はまたそのつもりで広島に行った時に赴こうと思う。しまなみ街道でサイクリングしたーい!
 私の希望で広島県立美術館で催されているジブリ大博覧会に向かう。川沿いを散歩しながら、折り鶴で有名な佐々木禎子さんの母校の織町小学校の前を通り(建てられた銅像(石碑だったかもしれない)を外国人が撮影していて禎子さんゆかりの学校だと気付く。彼等がいなかったら素通りしていた)、縮景園の前を通り過ぎて美術館に向かうと、既にすごい行列!!九時二十分ほどで、すっと入れるかと思ったらチケット購入60分待ち、入場100分待ち、合計160分待ち!!!私はジブリファンなのだけれど連れの友人はそれほどジブリを見ていないので流石にそれほどの時間を割かせるのは申し訳なさ過ぎたので断念。連休+ジブリ人気を完全に嘗めていた。
 とはいえわざわざここまで歩いてきたのでこのまま次に行くのもどうなんだ、ということなので折角なので素通りした縮景園へ。入園料230円とかでめちゃ安い(参拝料関連は京都で感覚が狂っている)。

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 名勝地であることは知っていたけれど、正直なところ時間潰しというかそれほど期待していなかったのだけれど、思っていた以上に面白かった。何が面白いかというと、大きな池をぐるりと回る順路だったのだけれど、場所によっていろんな景色や足場の違いがあるんですね。普通の小さな石橋もあれば朱塗りの橋もあり、池の淵を沿う細い道もあれば石段を登って上から全体を見渡せる場所もあり、高いところに上がると縮景園の傍、柵の向こうを流れている河もよく見える。小さな滝(流れているのは井戸水とのこと)があったり、池を跨ぐ橋のようなオブジェを見たり、かつて座って休んで池に映る月でも眺めていたのだろうか、休憩所のような小さな建物が点々と池沿いに作られていたり。そこに座って仕事の話とかゲームの話とかしてゆるりのんびりと時間を過ごしながら、ゆるいアーチを描いて大ジャンプをする魚に驚嘆したり、大きな鯉やアメンボたちをぼんやりと眺めたり。岩が寄せられた淵もあれば、河原のように細かな石が敷き詰められた淵もあり、本当、歩いていていろんな景色が凝縮された、縮景園という名前に違わぬ場所でした。多分ハードルが低かった分、余計に印象的に残ったのだろうな。原爆で江戸時代当時そのままの本物は壊滅し、その三・四年後ほどから復元に乗り出したそうで、建物などは正直かなり新しさを感じましたが、綺麗だったし、当時もまさにこんな感じだったのだろうかと思うと、それはそれで良いものだった。あと全然関係ないけどここでラプラス見つけてテンション上がった(ポケGO)。
 もっと通った道とかの写真を撮っていればどう面白い庭かを具体的に残せるのだけれど。思いっきり景色に周囲の高層ビルが入ってしまっているのも含めて面白かった。都会の真ん中の異空間。春は梅や桜、秋は紅葉が美しいそうなので、そのタイミングで行くのも良いかと。行ったことが無い方は良かったらどうぞ。広島駅から1kmほどの好アクセスなのですぐに行けるよ。
 縮景園から県立美術館の方へ行き、すぐにある大通りを左へ曲がり、八丁堀を曲がってずっとまっすぐ歩き河の方へ。
 どちらが行こうと言い出したか明確に覚えていないけれど、二日目どうするかを相談していたときに、行くのもいいけどね、と友人がちらと言ったのにそのまま乗るように、原爆ドームへ。

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 私自身は原爆関連に関心があるのだけれど、いつか行くなら一人で行こうと考えていたくらいで、正直、友人との楽しい旅行で原爆関連に触れるとは思っていなくて、なんとなく口にも出しづらいところもあり、今でもどうして行くことになったのか、よくわからないけれど。
 重い話にもなるので、その後に行った平和記念公園等も含めて詳細は後に書きます。ただ、行って良かったし、友人にとても感謝している。

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 ドームを過ぎたところの橋の近くにイタリアンのお店があり、広島のローカル番組で宣伝されていて美味しそうだったと地元民に紹介されたのでそこでお昼。宮島で食べた焼き牡蠣も美味しかったけどもっと牡蠣食べたいねということで焼牡蠣のエスカルゴ風、牡蠣の醤油バターパスタに、普通にクアトロフォルマッジをわけわけして割とお腹も心も満たされる。河沿い、オープンテラスもあるような開放感のある店だったので、大きな窓から見える河の景色も良く、イタリアンにアレンジされた牡蠣料理もピザも美味しくいただきました。
 店を出たら平和記念公園に向かい、その後爆心地に寄った後、本通りに向かって適当にお店に入ったりカープグッズを見たり、お腹はいっぱいだったけれど足が疲れたので通りがかった喫茶店に入って駄弁る。

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 カフェクラシックという喫茶店で、シックな内装がとてもお洒落で、本格的な珈琲を煎れてくださる美味しい店でした。私は深煎りのブラック珈琲とアフォガートを、友人は中煎りの珈琲にミルクをつけて、それぞれいただく。アフォガートはほとんど私が食べたけれど友人にもちょっと分けて。これがまた美味しくて。濃厚なミルクアイスに、濃厚なエスプレッソをかける。溶ける甘いミルクアイスと苦いエスプレッソが口の中で混ざり、溶けて、幸せの極み。普通に珈琲がめちゃくちゃ美味い喫茶店でした。元々は違うカフェに行こうとしていたのだけど、あそこに寄って良かったなー。
 そこで時間を潰し、ほどほどの時間で店を出て、そのまま広島駅へ、今度は路面電車を使って。最後に駅でお土産を買って広島を出る。新幹線は寝た。

 そんな感じの一泊二日広島旅行の備忘録。楽しかったなー、という記録と共に、小学校の修学旅行以来に訪れた原爆関連施設について、感じたことは、追記へ。

 

 

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 目の当たりにして思ったのは、「来てしまった」と「こんなに大きかったのか」。

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 原爆ドーム原爆ドームたる、特徴的な丸い屋根。その両側に、大きく崩れた壁。
 ガラスがあったであろう窓の部分も、爆発で瞬時に割れ、塵となって吹き飛び、地面へ、壁へ、そして人へ突き刺さったのだろう。当時の写真を見る限り、中心にも枠があったようだけれど、それはすべて吹き飛んでしまっている。
 友人と、元はどんな建物だったんだろうね、と話す。検索して出てきた建物の写真と見比べる。あまりにも大きく崩れ落ちてしまい、無くなった壁や、床の存在。三階建て?の両側も、床が完全に無くなっているから、吹き抜けになっている。焼け焦げて黒くなったレンガ。剥き出しになった鉄骨。壁に残る、罅のような跡。
 中の人達は全員即死。信じられないようだけれど、たった一発の爆弾が、建物を破壊し、人を殺した。
 七十年以上も前にあった建物が、七十年もの時を経て、目の前にほとんどそのままの形で遺されているという事実が、どこか不思議でならなかった。修復工事や耐久工事等の人の手が加えられていても、この建物は過去から変わらず、ずっとあの河沿いに在り続けている。それが、とても不思議だった。

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 それを印象づけたのは、ドームそのものでもあり、ドームの足下に散らばっている瓦礫だった。あの瓦礫が、広島県産業奨励館の欠片の欠片なのか、他の建物の欠片なのかは判別がつかないけれど、きっと、殆どは、垂直真上600mで爆発し発せられた猛烈な爆風に打たれたドームのものなのだろう。上から凄まじい圧で押しつけられ、同時に3000~4000度の、想像を絶する熱線に焼かれ、溶け、崩れた残骸が。あの残骸こそが、その周囲、ずうっと向こう側まで広がっている広島の景色そのままのはずだと思うと、ああ、これが、そのものなんだと。ドームの前の碑文には、投下直後の写真も当然載せられている。今まで何度も見てきたはずの原爆ドームを中心とした瓦礫の町並みが、今という現実と繋がって、視界に広がるようだった。
 以前の0806で記したように、小学生の記憶で一番原爆関連で残っているのは、史料館のろう人形だ。原爆ドームのことは、正直のところ殆ど覚えていなかったけれど、上乗せされた記憶は、私という身体が当時から大きくなっても、変わらず在り続けているはずのその建物は今から見てもものすごく大きくて、そして記憶していたよりもずっと間近で見ることのできた衝撃もまた大きい。集団ではない個人で見ている分、じっくりと見ることができた点も大きいのだろう。柵のすぐ向こうに転がっている瓦礫には、手を伸ばせば届いてしまいそうだった。壁もすぐ傍にある。がさついた表面がよく目に映った。とても近い。真下から、ぐっと首を上げて、丸い屋根を下から覗く。本来なら見えぬはず、中が吹き抜けになっているから、窓や骨組みの間からよく見えてしまう。

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 同じ写真を繰り返すけれど、写真の、二階部分の窓の、一番外側の方に、鉄骨でかろうじてぶら下がっているレンガ部分がわかるだろうか。落ちずに、耐えて、残っている、その欠片に、子供だったら気付かなかっただろう。

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 もう一つ印象的な部分。柱が、上だけ繋がって、斜めになって制止している。その上の付け根の部分は、少しだけくびれていて、罅も入っている。不思議なくびれをしている。これは、熱線で石が溶けたのか、あるいは削れてしまったのか、わからない。斜めになっているのは、爆風などで煽られたりしたからだろう。石、という堅く普通にしていたら動かないはずのものが、異様に変形し、そのまま止まっている。時が止まったままなのだ。
 耐えたのだ。この建物は。解っている。耐えたから、残ったのだということを。その具体的な爆発を私はとても想像できないし、これから経験したくもない。ただ、この建物は、その猛烈な一瞬に耐え、そのまま、耐えた状態のまま、息を潜めるように、この場所にあり続け、変わる町に存在し続けているのだ。自らは、耐え抜いた身体のままで。
 遺構として遺すことには、賛成の声も反対の声もあったという。私は、遺してくださったことに感謝している。そのものが過去の形を意地したまま残る、その大きさや重要性は、直で見ないことには実感することができないのだと、あの建物が纏う空気が静かに訴えてくるようだった。あれは、痛みだった。血だらけになり、焼かれようとも生き残った、墓標だ。

 私はあの原爆ドームを見ながら、去年の夏、東北で見た、津波の被害にあい壊滅した大川小学校の遺構を思い出した。

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  東北でもそうだった、今にも降り出しそうな重い空と湿った空気も、重ね合わせる要因だった。背景はあまりにも違うが、何かしらの出来事で破壊された「物」というのは、「形」というのは、生々しい傷を心に残していく。それは視界に限ったものではないのだろう。身に纏っている悲惨な空気も、そして受取手であるその人間にも影響されて、それぞれに違ったものを与えていくのだろう。
 小学生の私と、大人になった私は、身体も、心も、変わった。変わらぬ原爆ドームに対する印象が違うのは、私が変わり、視野が広がったからだと思う。何も知らぬ子供から、知識と経験を塗り固めた大人になって。まだ大人としても未熟であるけれど。だから、これからの人生、また訪れるたびに、感性は変容し、見えるものもまた変わり、感じる痛みは違う形や違う深さをしているのだろう。
 平和記念公園に移り、アーチ状のあの石碑の前に立ち、そのアーチの向こうに、平和の灯火が揺らぎ、その更に向こう側に、原爆ドームがある。恥ずかしながら、私はその場に立って初めて、正面に立った時、アーチの中から原爆ドームが見えるように設計されていることを知った。何度も見てきたはずの構図なのに、今まで気付かなかったのだ。
 この感覚は、間違っているのかもしれないし、非難されるかもしれないけれど、私は、その、原爆ドームまで通り抜けるその様を、美しいと思った。
 美しかった。
 手を合わせて、目線を上げても、やはりそれは。
 広々とした公園、静かで薄い水面の上を、石のアーチが風景を切り取り、その中で揺らめく炎、破壊を更に遠くに据え、遙か空を背景とする突き抜けていく形が、切実な祈りのようでもあり、怒りでもあり、深い鎮魂だった。
 そんな、綺麗な言葉で片付けてしまえるものではないのに。これは、私があくまで経験していない、ひろしまの人でもながさきの人でもない、日本人という意味では当事者でありながら、他者であるからだろうか。しかし、そう感じてしまった。
 原爆ドームを何枚か撮るだけでも憚られるものが多少なりともあったので、その写真は撮らなかったけれど。
 その風景が、忙しない日々の中で薄らごうとも、その瞬間の直感や感性は、覚えておきたい。それもまた薄らいでもいつかまた思い出せるように、ここに残しておく。

 前に他の友達と広島に来た時は、なんとなく原爆関係は言わずとも避けていた、と友人は話した。私は、そうだよね、と返した。戦争の過去は鋭利で、気軽に触れられるようなものではないと考えていて、踏み出すのに少し勇気を必要とする。それでもやめようと言わずに一緒に行ってくれた友人、その場で話したことや、感じたことは、きっとこの子と一緒だからこそ生まれたものだろうなと思うから、感謝が尽きない。
 行って、良かったと思う。
 史料館は本館が工事中だったこともあり行かなかったけれど、工事が終わったらまた行きたいし、やっぱり、沖縄にも行こうかと思う。戦跡を見る旅に出ようか、と。それも前々からぼんやり望んでいることだ。それは一人で行こうかと思うけれど。うん。考えます。

 今、本棚の原爆詩集を手にとり、読むと、より抉るように文章が、ことばが、鬼気迫ってきて、あの原爆ドームと、瓦礫と、灯火の揺らめきと、アーチが、浮かぶ。穏やかな今の風景と、瓦礫や建物やことばから浮かぶ想像上の過去のおぞましい風景が、まざる。

 短くも、良い旅でした。
 平和が一番だね。
 終わり。