1013「いたわること/十二国記」

 大型台風が通過していきました。
 私の地域はただの強い雨風が吹き荒れるばかりで特に被害はありませんでしたが、夜が明けた各地の水害状況を映像で目の当たりにして、胸が痛むあまりすぐに消してしまいました。申し訳ない。
 時期的にもうこれが今季の台風の最後かなと思うのですが(思いたい、という願望)、毎年どこかしらで目を疑うような水害が発生して、この国はどこまで災害大国なのだろう、たちうちしようのない強大なある種の暴力に対して、自分の身を守ることしかできない現実、壊れる時にはあっというまに壊れるあっけなさに立ち尽くすしかできない。
 怖い思いをされた方々、今もされている方々、被害に遭われた方々に、少しでも早く穏やかな時間が訪れることを、祈るばかり。


 話が変わり、自分の話になり恐縮ですが。
 ストレスが溜まっているのか、疲れているのか、わかりませんが、大きな音、やかましい機械音というものに耐えられなくなっています。それから、イヤホンのような、鼓膜を至近距離から直接打つような音。
 洗濯機や掃除機の音、近くの道路を通る車やバイクのエンジン音など、耳に入るたびにざらりと不快感が走っていきます。
 今住んでいる場所は住宅街の中なので、基本的に前引越前より幾分静かな場所で過ごしやすいのですが、それでも車は通るし、生活をしていれば洗濯機の音からは逃れられない。当然人混みの中などもってのほかで、これまで休日になると当たり前のように外に出て、買い物までせずとも、喫茶店やらなんやらで本を読んだり作業をしたりしていたのですが、そういう場所での人の目や聞こえる会話やBGMも想像するだけでなんだか辛くなってしまって、どうにも行けなくなってしまいました。
 仕事では謎のスイッチが入るので特に気にならないのですが、仕事以外になると、途端にひよわになってしまう。些細なことで苛立ちを感じてしまってしまう。そして、優しくできなくなっていく。
 そんな状態なので自然と家にいることが多くなり、できるだけ自分をいたわること、生活を大切にするということに重きを置いて生活をしています。
 去年、養生旅行と称して箱根の温泉宿に一人旅をしに行ったことがあって、そういう旅行もいいなと思うし何度か「今度の休みこそは海を見に行こう」と決意したのですが、あんな贅沢はそう易々とできるものではないし、電車が今は負担だし、頑張って遠出をせずとも自分の身の回りだけで養生できるようになったらそれが一番良い。
 養生といっても大したことはしていなくて、ただ、生活を大切にする、そこに注力する。
 部屋をきれいにすること。水回りを掃除すること。料理をすること。作ったことのない料理をしてみること。掃除機は昼間にかけること(夜よりも昼間の方が音が響かないような気がするから)。洗濯機は料理などの作業と並行して行うか、リラックスできるお風呂に入りながらやりすごすこと。本を読むこと。お茶を淹れること。
 そして、生活音に耳を傾けること。
 包丁でものを切る時の音が好きです。蛇口から出る水の音が好きです。皿やコップをテーブルに置く時の音が好きです。雨の音が、台風直後なので少し言いづらいですが、好きです。秋の虫の声が好きです。キーボードを叩く音が好きです。ページを捲る音が好きです。音楽も、最近はようやくまた少しずつ聴けるようになってきて、大体ピアノ音楽や癒やし系の動画を流し続けたりしています。ただ、最初に言ったようにイヤホンで聴くのは音が近すぎるのと耳に異物が詰まってる感じが少し邪魔なので、iPhoneのスピーカーモードで聴いたり、iPhoneに入ってない曲はPCから流したりしています。Bluetoothのスピーカーを買おうかなとも考えるんですが、最近ウォークマンが壊れてしまったので(そして放置している)増税前でもその一歩が出ませんでした。
 要は、周りの小さな生活音に耳を傾けるようにして、そうするだけでなんとなく、ちょっとした幸せを感じられるような気がして。
 それから、ちょっと前から休日は簡単に手の爪にマニキュアを塗って過ごすようになりました。
 職業柄、マニキュアは勿論爪を伸ばすのも完全NGなため、たいてい1日休んだら次の日また仕事なので1日限りのちょっとしたおしゃれなのですが(爪が傷みそうだなとはちょっと思っている)、これがなんだか気に入っています。急な話になりますが、手が好きです。手フェチです。世の中いろんな手がありますが、その中でも実は自分の手はとても好きな部類に入ります。自分の身体のあらゆるパーツの中で、唯一好きと言える部分です。そんな好きな手をちょっとしたことで飾る、好きな色で飾る。色も好きです。色が好き、というと何が?という感じがしますね。様々な色彩が好きで、ちょっとした色を爪に塗って、ちょっとだけ光る、ささいな変化、彩りが加えられる、指先に違う魂が宿ったようで、手が可愛くなる、それが好きです。ちょっと気持ち悪いなとも思うんですが、自分の身体をそうして好きでいられる、それも手という頻繁に目に入るものであること、色を加えることでなんとなくいつもより綺麗に見えること、小さな工夫で幸福を覚えるなら、気持ち悪かろうとなんだろうと良いことじゃないか。ちなみに前述したように家事をわりときちんとやろうと心がけているので、つまり休日の料理なんかもマニキュアをした手でやっていて、これは完全に賛否両論があるだろうし私もこれに関しては抵抗が無いわけではないのですが、他人に食べさせるわけでもなく自分の身に入っていくわけだし、全て手袋をして料理をするのも嫌だし、落としていません。簡単に調べると手袋するに超したことはないなとは思いますが、料理を手袋ですることの方が抵抗を覚えてしまう。
 音の話だの、爪の話だの、まとまりが無いように思われるかもしれませんが、一貫しているのは、自分の好きなものに意識を向けること、生活と心を整えるということ。
 ちょっと前に、気の許せる友人とたっぷり笑って美味しい食事とお酒を飲み交わしたら、なんとなく発散できるような感じがして、一昨日実は久しぶりにカラオケに行きましたが、随分と疲れてしまって、まだ難しいな、と。
 デスク用の椅子をようやく買って、今日届いて、安かったのにかわいくて座り心地も悪くはなく、今のところ気に入っています。本もそうですが、アマゾンレビューは頼りになる……。そうして生活空間を整えていって、いたわりながら生活しようと思います。好きなものを大事にしながら。その感性を撫でながら。

 今日のおとも。
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 外のパッケージを開けただけで蜂蜜の香りがしました。強烈。
 ちょっと思ったより香りや甘みが今の身には強すぎたかな……と思わなくもないですが、蜂蜜自体は好きなので、美味しいです。

 台風やらの自然災害は巨大な暴力ですが、人間、生きているだけでも些細な暴力に見舞われがちですし、たいしたことないことで苛々したり、嫌いになったり、嫌な思いをしがち。嫌いという感情は自分にとってこれは嫌なものなんだという物差しになって自分を理解・守ることに繋がるので一概にだめではありませんが、最近嫌いという基準値がどんどんゆるくなっているような気がして、それが他人にしても簡単に可視化されてしまって、とても見てられなくなる。優しくなりたい。まずは自分に優しくしてあげよう、な今日この頃。
 たとえば好きな本を読んだりね。
 そう、たとえば昨日発売になった十二国記を読んだりね。
 ね。
 はい。
 新刊読みました?
 私は読みましたよ。二巻まで、きっちり。
 ねー。
 ねー……。

 ↓どうしても言いたいことについて超絶ネタバレにつき白字反転で読めます。


 本当に死ぬとは思わないじゃないですか。
 驍宗様……あまりのことで俄には信じがたいんですが……一巻で短刀を研ぐ少年と一緒にいたおじさま、流れからして驍宗様だという予感はしていたんですが、だからこそ途中で死んだ描写の時に「えっ」となってそこで「ならばこれは驍宗様ではないこれは幾度も書かれている困窮した民を書いた描写の一環だ」と思い込もうとしたんですが最後で、最後で……白い御髪に朱い眼で……もう勘弁してほしい……いや、彼が驍宗様であるとはまだ限らないんですが、そっくりさんで、影武者かもしれないんですが、語られる生きていた頃の姿や言葉が明らかに驍宗様でつらい。こんな末路なのが本当にきつい。はー、けっこう信じていたんだよなあ、驍宗様と泰麒の再会を……。

 とはいえ、白雉が末声を鳴いていないという事実がある。
 泰麒が別行動をした時と、驍宗様の死は同時期だという。泰麒にいかほど麒麟の力が実際のところあるのか、それとも描写通り本当に力は無いのかわからないところですが(私が単に疑ってるだけなのかもしれませんが、この実際のところ「わからない」という感覚を描くのが上手いなと読みながら痛いほど思う)、驍宗様が本当に死んでいて、阿選が天に選ばれ次の王となり、しかし白雉は落ちていない(一巻で泰麒が白圭宮を訪れた際に、白雉の具合を確認してまだ落ちていないという描写がある)。驍宗が一度王として君臨したのは間違いがない。そもそも、驍宗が死んだというのも、基本は不死身の王が死んだっていうのはなんか、引っかかるし……。もちろん首を落とせば王も死ぬのだけれど。王が王でなくなるのは、死、あるいは失道、そして自ら王を辞するか。ただ、王が死ねば白雉は鳴く。となれば驍宗は死んでいないとみえる。けれど、作中で驍宗は行方不明になり、驍宗と思わしき人物は既に亡くなっている。
 阿選が、本来は驍宗に対して謀反を起こすような人物ではなく、人柄からしてみてもとても国を放置するような人物ではない。しかし阿選は驍宗を殺そうとし(と語られている)、泰麒の角を折った。本当は、驍宗の良き好敵手であったというのに。勿論、驍宗が王になったことで、何を考えていたかは、わからないけれど……。単なる嫉妬やらで討つような人物のようには思えない。
 稚拙な頭では、驍宗がなんらかの理由で自ら王を降り、阿選は謀反か協力で驍宗を殺そうとし(しかし実際には殺さず、行方不明として姿をくらませ生かした)、どうであれ玉座空位となり、そして阿選が王として選ばれた……白雉が「王の死」によってのみ末声を鳴くのなら、こうなれば辻褄は合うように思うけれど、どうでしょう。ちょっと白雉の設定とかがうろ覚えなので微妙だけど。あるいは十一章で語られていたように、驍宗が王としての道を誤り、阿選はそれを正したという路線か、でもこれはミスリードな気がする……。驍宗の戴を治めた半年は果たして誤っているといえるほど間違っていたのか? 驍宗様贔屓目なこともあって、とてもそうとは……。ただ、泰麒が幼き頃、それこそ驍宗を王として選ぶ際にずっと感じていた、「この人は王ではない」という感覚についてもこうなってくると余計看過できないですし(驍宗に対する恐怖感も含めそれは王に対する畏怖であると描かれていたはずだけれど)(延王だって「この人は必ず国を滅ぼす」と解っていて選ばれたという描写があるし)、その王ではないという直感がもしも「本当」なのだとしたら、とんでもねえ伏線回収だなとは思うけど、も……!!!ああ、でも驍宗が死んだというのは、ちょっと、信じがたい。感情的になってしまうと本当ならば本当に悲しい。仮に泰麒に麒麟の力、天からのお告げを聞くあれが戻っているのなら、泰麒は既に驍宗の死を理解しているはずなんだよなあ、そんなん辛いじゃないですか。冷酷になるのもわかる。いや、まだ実際のところどうか解らないけど。はー、私はね、驍宗と泰麒の不器用なペアが好きだったんですよ……大きくなった泰麒と会う場面を見たかった……まだわからんけど……もしかしたら生きてるかもしれない……私達は小野不由美の掌の上で踊らされているだけなんだ……。はあ……。だってこれから二巻あるし……残り二巻で何を語るんだ……どうなるんだ……この続きをきちんと一ヶ月後には読めるというのは有り難いけど既に待ち遠しい……。
 はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっこの物語、辛いですよね。辛いけど面白いんですよね。難しいけどやみつきになってしまいますよね。多分いろんな考察が回ってるんだろうけど見ないでおきます。
 いろいろ言いたいことはあるけどまだ謎だらけなので再読しながらおとなしく待とう!また言いたいことが出てきたらここに書こう!

 ↑白字終わり。
 はーっ次が恐ろしいけど楽しみです。よく書いた!ラグビーを見て今夜は小説を書きます。
 ここまで読んでくださりありがとうございました。