0126「ブルートレインへの憧れ」

「WEST EXPRESS 銀河」という名称の寝台列車が今年の5月から運行するらしい。
 青く塗られた車両、寝台列車、とくるともうそれは、あの、廃止されたブルートレインとなるのだろうか。
 私自身は鉄道や飛行機といった乗り物にさして興味は無いのだけれど、ブルートレインには他と一線を画した関心や憧れを抱いている。発表された新しい寝台列車に高揚したのに理由は二つ挙げられる。
 一つは、この列車は5月から9月までの期間は京都・大阪~出雲市間を走るということ。もう一つは「ブルートレインでいこう!」という児童書が急に思い出されてあまりにも懐かしかったからだ。
ブルートレインでいこう!」は、三輪裕子が書いた児童書で、勇太と鉄平という同じ小学校に通う二人の男の子が、タイトルの通りブルートレインを使って東京から函館を目指すお話である。ちなみにこの作品は三部作となっていて、ブルートレインは二作目にあたる。勇太は少し気の弱いおとなしめの男の子で、鉄平はいわゆるジャイアンタイプの性格になる。勇太は親戚の家かにいくために青森へ行くことを計画していたが、鉄平が勇太に、函館に二人でつれていってほしい、と頼む。そこからストーリーは動き出していく。お父さんに会いにいくんだったかな……。
 私も彼等と同様小学生の頃(三年生か四年生のどちらか)、この本にやたらと没入していた。木造の廊下、学年共用の本棚にその本は並んでおり、借りては、次の作品を読んで、またじっくりと借りる、そんな風に何度も読み返した記憶がある。その割にもうだいぶ記憶が薄れているのだけれど、図工か何かで描いた絵にこの本の挿絵をイメージして描いたことは非常に覚えていて、つまりは強烈に好きな本だった。地元は東京から離れていたし、ブルートレインなんて本の中だけの世界の乗り物だった。夜、眠っている間に、列車は揺れて、遠い東北・函館までつれていかれる。列車というモチーフにはそそられるものがある。夜行バスではだめなのだ。ジブリ魔女の宅急便は貨物列車の藁布団で眠っている間に町に辿り着くから味が出る。
 しかし学年が上がり共用本棚から離れるとすっぱりと読まなくなった。子供は熱中するとどこまでも没入するが、飽きるときはとことん忘れる。図書室に無い本だったので、馴染んだ廊下を離れるとそもそも出逢うことがないし、また違う本に意識が向いていた。
 だけどブルートレインにはずっと強烈な憧れを持っていた。大学で地元を出ても東京はまだ遠い存在だった。そもそも普段はなかなかブルートレインについて考えない。思い出したのは、悲しきかな、廃線が決まってからだ。
 物語の中の存在であったブルートレインは現実に存在していたのだけれど、結局一度も乗ることができず無くなってしまった。今でも寝台列車といえば「サンライズ出雲」等が有名だけど、それじゃないんだよな、と思う。乗っていない分際で言うのもなんだけれど。
 しかし、真っ青に染まった寝台列車が新たに運行するという。これは、やはり、惜しまれながら去ったブルートレインの後継者という位置付けではないのだろうか。銀河という名は自然と銀河鉄道を彷彿させる一方、場所は関東でも東北でもなく西日本というのが予想外ではある。東日本を走らないけれど、一度は失われた夢を少しでも叶えるという意味では、一回くらい乗ってみたい。いやしかし、出雲市かあ。どんぴしゃな地元ではないんですが、なんというか、不思議な気持ちになります。10月からは下関へ向かうみたいなので、それを狙っても良い。山口県は新幹線で通過したことしかない。
 久しぶりに「ブルートレインでいこう!」も開いてみたくなったのだけれど、やっぱりもう廃版になっているようで。また古本屋か図書館で児童書コーナーを回ってみようかと思う。
 関西にお住まいの方は、ぜひこの機会に、夜行列車で山陰・山陽へ旅してみてはいかがでしょう。

 ではでは。

0108「12月の創作」

 こんばんは。
 新年が明けて何度かブログを書きたいという思いは過ぎったのだけれど、年末年始何かとばたばたしたり仕事が長引いたり折角早く帰れたと思ったら体調がそれどころではなかったり、心と身体とタイミングがちぐはぐな一週間でした。
 1月に入ってまた格段に寒くなったような気がします。世間的にはインフルが流行っていると随分前から騒いでいるのですが自分の周囲はそうでもなかったのが、いよいよ波がやってきつつあって、これも一種の(残念なことに)風物詩のようなもので、やはり帰省ラッシュや長期休暇を挟んでたくさんの人がごった返すと感染は一気に広がるのだとしみじみ思います。腸炎も流行っているので皆様も気を付けて。
 まあそんなことはともかくとして、小説を書きたい。カルロス・ゴーンも気になるが、小説を書きたい。しかしなんとなく筆がのらない。そうなれば最近私の中での流行となっている手法・ブログで打鍵を乗らせてからどどどと小説も書き進めてみます。
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 昨年12月の創作の字数記録をそういえば振り返っていなかったなと思いまして。
 写真がやや見づらいですが、11月半ばから尻叩きのために始めたこの字数記録。赤裸々だなあ。ちなみにページを押さえてくれているのは友人モカちゃんがくれたボールペン機能つきのヴァイオリンのクリップです。可愛いね!!!エアコンの風でページがめくれるのを防ぐのに愛用しています。ただの自慢です。ありがとう。
 1字でも毎日書く、が一つの目標の中、12月は忘年会だのなんだのあったりしてどうしても書けなかった日もあったんですが、概ね毎日書くことはできました。
 すごく筆ののりにムラがあって、100字に満たない日もあれば、7000字いくような日もあったし、作業会をした日はそういえば異様なほど進んだなとか、待望だったシーンはよく書けたなとか、休みの日でも書ける日書けない日あったなとか、日々の日記と合わせるといろんなことを思い出します。
 4万字以上を1ヶ月で書けたのは、ここ最近の私からしてみるとすごく、本当にすごくよく出来ていて、それでもなお、まだ終わらないこの章。長い章になることは覚悟していましたが、実際に書いてみると想定していた字数を遙かに超えるのは、またか、という感じですが、それが良いか悪いかは出来上がってみないと分からないんですよね。ううん。多く見積もってもあと5万もあれば流石に終わるんじゃないかと思っているんですが、そうなると1月に終わるかどうかも分からない。そして恐らく推敲でまた膨らむ。でも1月中にこの章をとりあえず完成させることが目標です。終わるといいな……。
 記録が楽しいことがきっかけになってもなんでもいいので前に進めたい。数字は嘘をつかずはっきりとした真実を突き付けてくれるし単純に楽しいので字数記録は続けています。1月、12月の日々よりも進めたらいいな、と思いながら現在までのところだいぶ雲行きが怪しいんですが、これから、これから。1月中に初稿を終わらせること、1月末~2月初旬での更新を目指して、やっていければ!頑張れ私。
 ではでは、書いてきます。

1229「2019年の振り返りと2020年の目標「創作/読書」/人生という図書館に自分だけの蔵書を加えていく」

 大晦日にこういう年末の総まとめをやりたくないのでいつもより若干早いですが自分の中では恒例となっているこれをやっていきます。創作での振り返りと来年の目標。

 2019年の目標ですが、
・本編キリ編を終わらせる
・動画を完成させる
 でした。
 今思えばそういえばそうだったなというレベルなのですが、2019年はしろ闇の10周年の年でした。長期の休みも挟みつつですので名ばかりの10周年だというのは当方が最も実感していますが、記念年であったことには間違いないでしょう。去年の今頃は毎日動画を作っていて、丁度線画を毎日のように作っていて、年が明けてからも毎日描いていて、なおかつ書いてもいて、一体私のその底力はどこにあったのかい。そういえば作業会を企画したのも今年の初めあたりが最初でした。その頃はツイッターの創作垢のみでの募集だったので、ごく限られた方々とやっていて、本垢での募集にはかなりの抵抗があったんですが、今となってはそれも薄まり、普段はなかなか交流しないような方とも繋がれたりして、楽しい時間でした。
 本編キリ編、つまりは続・キリ編ですが、終わらせられませんでしたね。今でこそほぼ毎日執筆しているんですが、書かない期間がけっこうあったことや、実際に書き出してみると結構きつい章で、へこたれそうになりながら、いやむしろへこたれながらそれでも書かねばと尻を叩いて書いていたような印象です。
 今年の更新数は9話でした。うーん、なんともいえない数ですね。更新していないとまではいわないけど、がんがん書いたともいえない。もっとやりたかったけど、こんなものかもしれません。
 19年は……なんだろうな。拙作に関して言えば「忍耐」や「我慢」という言葉が総括として当てはまると思います。18年の更新再開は(有り難いことに)再開そのものを喜んでくださった方や祝ってくださった方が多かったのですが、物事そうであるように、全てがそのまま波に乗れるわけではなくて、物語の真価が問われるのは話題に上がったその後であって、私は今でもそれに関して自信は持てていません。比較的暗く鈍い展開が続いているので、面白さというのは置いておいて、少なくとも「華やかさ」には欠けます。華やか、盛り上がり、というのは書くのも簡単ですが、読むのも(誤解を恐れずに言うのであれば)簡単です。そして鈍い展開は書くのも読むのも大体忍耐を必要とするので、読者にある程度の負荷をかけるわけで、うーん、しんどいな、と思います。分量としてはそこまで冗長なものにしないようにしようと思ってはいるのですが、入れたいものもたくさんあるので(欲張りめ!)それも混乱のもとになっているだろうなと常々思っています。
 私にできることは、ただ、今目の前にある原稿を少しでも良いものに仕立て上げることと、たまに宣伝することくらいなので、それを無理にもっと頑張ろう、と背伸びも過剰な追い込みもせずに、今やっていることを粛々と進めながら、登場人物の声を聞きながら、研磨していくしかなくて、それが物語にとっても良い方向に作用することを願うしかないのです。
 手元でも続・キリ編は終わっていないのですが、だいぶ進んできてはいます。残り少ない日数で少しだけでも進めていこうとは考えていますが、残念ながら仕事もあるのでそう充分にできる時間は限られています。
 なので今年の目標の「本編キリ編を終わらせる」は未達成です。
 もう一つの動画に関しては、ショートバージョンは一応完成させましたが、この目標はフルバージョンを想定したものなので、そういう意味では未達成です。じゃあ来年フルに手を出せるかといわれると非常に微妙なところで、今は続・キリ編やその先のことに集中していることもあるし、そもそも絵からだいぶ離れているしなあ……。確実に進んではいるんですが、思ったようにはいかないことが、多いですね。でも、完成させたいことはさせたいので、来年、少しずつでもやっていきたいです。

 そんな(私の中では)暗澹たる19年しろ闇ですが、最新話以降はこれまでに比べると進行が加速するので、ちょっとついていけないところもあるかもしれない、けど! 筆自体は勢いがついています。この忍耐の先、「ああ、この展開、この瞬間のために、あの時間は必要なものだったのだ」と納得していただけたらいいなと願うし、そう思ってもらえるように、自分でもその場所に納得して辿り着けるように、書いていきたいです。

 そういうわけで、2020年の創作の目標は、

・続・キリ編および次の章を終わらせる
・動画をフルで完成させる
・短編を書く

 です。
 続・キリ編を終わらせる、くらいに留めようかとも思ったんですが手元での進捗を顧みると恐らくどれだけ推敲に時間がかかろうと確実に終わるので、その次の章まで進めることが1年を通じた目標としては相応しいかと思います。
 動画は少しずつやっていけたらいいかな……。今は続・キリでいっぱいいっぱいですが、それが落ち着いたらまずはラフ動画から着手していけたら……いいな……。
 短編は、もう随分と書いていないので、久しぶりに何かを書きたいですね。企画用に思いついたものはちょっと難しいかもしれないんですが、短編というか、連作短編集用の二次創作のネタを温めているので、肩肘張らない程度で書いていけたら理想。欲を言えば一次創作をしたいところでもありますが、最優先事項はしろ闇になるので、まあ、無理をしない程度にやれたらいいかなと。リアルもありますしね、勿論。
 今やっている「毎日一字だけでも進める」を意識的に行って、少しずつ習慣としてついてきているので、そうなれば日々に忙殺されていてもそんなに苦にならずに創作を続けていけるかな、と。
 キャラにとっても、実りある1年になりますように。

 *

 創作とはちょっと離れますが、先日ブログにも書いた読書年100冊は最終的に120冊(今の読みかけを読破すれば121冊)となりました。これは個人的には頑張れたと思います。来年の読書目標は130冊です。
 今年の読書の一番の目的は、読書離れしてしまった身体を読書慣れさせる、読書筋を鍛えることであり、いわゆる土台作りのイメージでした。なので(自分がそういう文章を好んでいるということがもちろんありますが)比較的すらすらと読める文体の本、とりわけ小説を多く読んでいました。
 ここ数年離れていたがために高くなってしまっていた読書に対するハードルが随分と低くなり、去年と比較してもある程度読書体力もついてきたので、2020年は小説だけでなく多種多様な本を読みたい、今までだと難解で読むのに力を必要とする(というイメージを抱いている)本を読みたい、年が切り替わるので大長編も読みたい、という思いがあります。
 あと、毎月やっていた読書記録は、やめる予定で考えています。あれは、他人の目のつく場所に結果を公開することで自分にプレッシャーをかける目的が大きかったのですが、そうしなくても自分で記録していくこと自体が楽しくなり、記録そのものを公開しなくてもちゃんと続けていけそうだという自信がついたため、来年以降はしないつもりです。その代わりに、印象深かった本は、その都度文章を引用したり簡単な感想をつけるなどして、情報を共有していきたいと考えています。フィードバックがあまりできなかったのは今年の反省の一つなので、手元での来年の読書記録でも「評価欄」を作りました。既に実践していますが、読みながら付箋を付けて後からスムーズに印象的な箇所を読み返せるようにして、自分のものにしていきたいものです。そして、良いと感じたものは積極的に共有したい。
 そして忘れてはならないのが、ポケノベですね。商用の本を集中的に読んでいたので二次創作の読書は完全に疎かになりましたね。来年、ツイッターに本格的にがっつり戻ったり界隈の方々とどれだけ交流するかどうかはともかくとして、ポケノベ自体はもっと読みたいと思います。これいっつも言ってる気がするんですが来年は、読みます!
 読んでも、読んでも、次から次へと読みたいものは溢れてくる。知れば知るほどに、欲は深まっていく。それは幸せであり、もどかしさでもあります。だから、一つ一つ、惹き付けられる瞬間を大切に、出逢いを大切に。

 *

 今年出会った本の中で、「人生という図書館に自分だけの蔵書を加えていく」という文章があります。
 この文章は手帳の話なので厳密に言うとこれを発信した方の意図する方向での解釈をしてはいないんですが、私はこの言葉が好きで、よく見返すマンスリーページに書いて積極的に目に入るようにしているし、今のテーマであり来年のテーマです。
 本に限らず、手帳に限らず、それは、人との出逢いや、人との営み、仕事、旅行、うんぬん、自分の手で触れて目で見て感じていくもの全て、ひとつひとつが、人生を図書館にたとえたとき、一冊一冊の蔵書になる。それが増えるほどに、図書館は豊かになっていく。自分が深まっていく。
 そのイメージが自分の中ですとんと収まって、とても良いなと思っています。
 良いことも悪いことも、成功も失敗も、好きなことも嫌になることも、いろんなことがあります。ままならないことも、悲しくてどうにもならないことも、怒りで我を失いそうになることも、あります。誰かを好きになることも嫌いになることもあります。自分のことを大切にできないことも大嫌いになることもあります。でもそれも、その瞬間も全て、経験として自分の中の本になって、収められていく。忘れられていくこともあります。嫌なことだけ覚えていたりもします。忘れたくないことは、手帳に書いておく。作りたいものは、手を動かして創作する。その繰り返しで、これから始まる2020年が終わった時、そして5年、10年と先を考えた時に、少しでも自分の中の図書館が豊かになっているように。それはきっと、創作にも、リアルにも、繋がっていく……と願う。
 今年出逢った、大切な言葉です。
 ……これを今年の振り返りで言いたかった!

 忍耐であり土台を作った2019年。飛躍を願う2020年。
 今年もありがとうございました。来年もどうぞ、未熟者ではありますが、よろしくお願い致します。

1221「寄り道つぶやき、なんでもないこと」

 ブログを書いたらその勢いで小説もよく書けるという話、たぶんある程度自分の中では本当だと思うのですが、「ブログを書かなければ進めることはできない」というわけではないということがよくわかり、今週だけで見ても、ブログを書かなくても7000字以上書けた日もあれば、100字も書けなかった日もある。なんの新しい発見でもありませんが、結局書きたいところであったり、よく展開する動きのある場面だと、筆はよく動いて、道筋がはっきりとせずに模索しながら書くと鈍い、という、今まで何度も経験してきた平凡な現象をまたも実感しています。
 ネタバレというほどのことでもないのですけれど、戦闘描写を随分と書いていなくて、それを久しぶりに書いてみると、ただ動きを追うだけの文章になってしまい、こんなにできない子だったかな……と未熟さを痛感しながら、しかし進めるだけ進めてあとは寝かせて考えよう、と明くる朝少し読んでみると案外そんなに悪くもないかもしれないなどと自分に甘くなる。
 ポケモンに長く浸かっていますが、バトルには詳しくないので、色々と調べたりしつつ、やりたい展開に合わせて技や特性を配置していく感じ。ゲームだったらこんな風にはいかないであろうことを想像しながら、自分の想像力の至らなさに辟易としながら、形作っていく感覚。戦闘描写に関してそういえば少し前に盛り上がったような気がしますが、どれだけかっこよく泥臭く書けるか自分にとっては重要、なのかもしれないな、と抽象的なことを、久しぶりに実際に手を動かして書いている今、考えます。
 でも、ことポケモンという分野において、小説に戦闘描写を抱えるのならば、バトルに弱いのは弱さになっても強さにはあまりなり得ない……。
 バトルに限った話ではありませんが、興味を広く広く持つだけ、創作という場では強みになるはずで、私もかなり選り好みをする方なので、変な偏見を持たずにいろんなものに触れて経験したいと思う。
 今年に入って、どれだけのことを経験し、どれだけのことを身につけ、どれだけのことを形にしただろう。様々な人に触れながら、経験しながら、どれだけのことに喜びを感じ、学び、そしてどれだけのことを失ったのだろう。
 振り返れば、いろんなことがあったけれど、それをどれだけ、生活や、創作や、自分自身に繋げることができただろう。
 ほんの少しでも前を向いて、去年よりも自分を深められただろうか。うまくいったこと、うまくいかなかったこと、好きになったこと、嫌いになったこと、全て含めて、今がある。
 小説のキャラに関しても、ある種長編ならではだと思うんですが、様々にあったこれまでがあって、今がある、様々な伏線があって、今がある、それをなんだかしみじみと実感しています。楽しいことばっかりじゃないけど。私は果たして思い入れがあるからこれを書いているんだろうか? 作者なので当然思い入れは人一倍あるとは思いますが、それに雁字搦めになって、ストーリーやキャラを殺してはいないだろうか……読み手を置いていっているのではないだろうか……。良くも悪くも過ぎっていく考えは、しかし夢中になって小説を書く時にはクリアになって、物語そのものに集中できる。その瞬間の心地良さ。
 面白いものを書きたい、と思う。誰かにとっては面白くなくて、でも誰かにとっては面白いものである、そんなものが書きたいと、今、思う。
 そのために、自分の面白いと思うものの幅を広げていきたいと考える。過去があって今があり。未来は今の積み重ね。積み重ねていくものがなんであれ、失敗しようと成功しようとなんの結果にもならなかろうと、何かしらは自分の糧になり、果ては創作の糧になるはずで。何かしらの一歩を踏み出すことに対して、できるだけ躊躇わないようにする、えいやっとやってみる、が、最近のテーマ。
 一体なんの話をしたかったのか、私にもよくわかりませんが、毎日の積み重ねこそが大事だと思う、そういうまとめにしておきたいと思います。なので、今日も小説を書きます。今の場面が書き切れますように。かっこいい戦闘を書けますように。えいえいおー。

1212「ネガティブをコントロールしたい話」

 今日も今日とてブログで勢いをつけて小説を書くという方法を使ってみる。結局昨日は1時間強で2500字ほど書けて、これは仕事終わりで疲れている時にしては随分な字数です。休日でもなかなか2000も書けない時はざらにあるので。うまくいかない時はそれでも進まないだろうし、進んだとしてもその文章を使うかは分からないし、もしかしたら全部消してやりなおすかもしれない。でもそのことはあまり考えず、今はとりあえず前へ向けて進む、1字だけでもいいから進めていく、というスタンスです。
 休日というわけではなく夜勤直前の午前中なわけです。
 ずーっとばたばたして気付いたら一日が終わっていて疲れ果てている日勤と違い、夜勤は(勿論めっちゃ忙しい時もありますが)ゆったりとした時間が流れていて、自分のタイミングであらゆることに取り組めるので嫌いではありません。しかし、夜更かしは得意な方とはいえ、人間の体内リズムに逆行した行為ゆえに大体夜勤明けはとりわけ精神的に崩れやすいです。自暴自棄になったりとか、何もかも嫌になったりとか、ぼーっとした寝不足の頭をさまざまなネガティブな思考が駆け巡っていって、動けなくなったりします。それが嫌。
 思考が流れるままに手帳に書き記すという行為を先日長々とブログでも言いましたが、夜勤明けにはとりわけこの方法が効きます。開いて楽しい手帳というよりも思考をアウトプットして脳のデトックスを狙う手帳なので、ポジティブな文章もあれば、ネガティブな文章もあります。できるだけ正直に書くとすっきりして、たとえば夜勤明けのずーんと心の沼の底まで沈んでしまいそうになるところを、途中で浮かんで、ぷかぷかちょうどいいところで浮いて過ごすことができるようなイメージです。感情の浮き沈みの激しさというか、落ち込む時にとことん落ち込んでしまう自分にずっと悩まされていたし、夜勤に入るようになってそれがまた顕著に出るようになってしまっていたので、一つ解決の道を見いだせたと思い込んでいます。個人的な話ですが、パソコンでの打鍵よりも手書きの方が効果が表れます。
 そういうわけで、日々の手帳はなくてはならないものになりつつあります。
 もしかしたら無意識的に義務感を抱いてしまって嫌になってしまったり、今までのようにいつか手帳を開くことも億劫になってしまったりするかもしれないけれど、毎日書くことで整理せずとも自分をコントロールできるようになるのなら、それはそれで進歩です。それが今は出来ないから、暫くはこうして目に見える形にすることで思考と向き合う時間が重要と感じています。あまり、自分の考えを積極的に人に言うタイプの人間ではないけど、文章でならもっとすらりと言える。本当は口に出してきちんと言えるようになるべきだけど、それはまた次のステップ。
 文章ならすらりと言えてしまうからこそ、ネット社会は時折とんでもないヘイトに塗れてしまったりするけれど。一長一短ですね。あらゆることが怖い。ほどほどのぬるま湯でいいので、穏やかな世界に生きていたいです。
 オチなし。

 ではでは、小説を書いていきます。

1211「いたわりハーゲンダッツ」

 先日、「ブログを書いてから小説を書いたら勢いで字数が稼げるのではないか」という疑惑がデータから浮かび上がり実際にブログを書いてからまた執筆をしてみたのだけど、いつもより多く書けたので、今日それを試してみようかと思う。意識が向いてしまうとそういうバイアスがかかってしまうのだけれど、気軽な実験感覚であり、小説としては進めばなんだっていいのだ。ブログを書いてから執筆をするということはそれなりに時間的にも余裕が必要にはなる。時間があるということ自体が余裕があるので字数も増えるかもしれない。でも、進まない時はたとえ時間があっても進まないのが小説だ。そして今日は比較的時間に余裕があり、ブログを書く余裕もあるので、これを書いたら小説を書く。

 定時に帰った。
 なかなか定時に帰れることは少ないのだけれど、というのも今日は久しぶりにあの眼精疲労からやってくる頭痛が昼過ぎからじりじりとやってきていて、運が悪いことに鎮痛剤を持ってくるのを忘れていたのでそれに耐えながら業務をしており、もう、今日はさっさと帰って、ゆっくり休もうと思っていた。低カロリーで働き、頭が痛くなければ残業して溜まっている仕事に取り組めたのだけれどそれも全部ぽいと投げ捨てて、コンビニに途中で寄って、今日の夕食とおやつを買った。最近は自炊していたのだけど頑張れないときは素直に頑張らない。
 食後に飲みたいところだが、我慢ができないので鎮痛剤を飲んでからごはんを食べる。いつもならごはんを食べている間暇なのでYoutubeやアマプラなど動画を見ながら過ごしているのだけど、電子画面の一切を目が受け付けなかったので、片手で箸を持ち、片手で本を捲る、行儀の悪いスタイルの食事となった。おかげで読みかけの本であった獣の奏者を読了し、読んでいるうちに頭痛は引いていた。おかげでPC画面を見ても平気だし、執筆しようと考えているし、あわよくばその後ポケモンをしたいなどと考えている。生活は電子機器に浸食されている。そりゃあ、眼精疲労に苦労するのも無理は無いのだ。
 今週もまだ半分だけれど、ハードな幕開けとなって、たぶんその疲労もきていたんだろうなあと思う。頑張った時には、自分をきちんと労ってあげる。労るには十分に休める時間がなによりも必要なので、今日のような日は貴重で、労るにはちょうどいい。
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 久しぶりにハーゲンダッツを買って帰った。
 元々は苺とブラウニーのアイスが昨日から発売になったらしいのでそれを食べたかったのだけど、近所には残念ながら売られていなかったので、代わりに苺を食べた。
 苺にしろバニラにしろなんにしろ、特に期間限定でもない普通の味を買うと、ハーゲンダッツの美味しさが際立つような気がする。後を引きすぎないんだけど濃厚な味わい、すっと舌を溶けていく軽さ。苺は小さな果実が美味しい。
 冬の時期のアイスは美味しい。温かい部屋で食べるアイスの背徳感が心地良い。そういえば今年の夏は一度も自宅でアイスを食べなかった。けど、冬になると、寒いのに、雪見だいふくを食べたくなる。ハーゲンダッツだって食べたくなる。いや、年中食べたいのだけど、甘くて冷たいものと、温かい飲み物を、どちらも美味しく楽しみたくなる。
 小さな贅沢。明日も明後日も食べようというわけじゃない。一度食べたらしばらくお預け。またどうしようもなく食べたくなるくらい疲れた時に、いつかまた食べる。
 生きていたらたくさん疲れちゃうことがある。でも、逃げ道なんてたくさんあって、その逃げ道や、吐き出す場所を上手に使って、また明日に向けて少しだけ前を向いていたい。嫌になってどこかに消えてしまいたくなることもあるし、本当に死んでしまうひとも、この世には間違いなく居て、それが時折虚しく、もどかしく思う。きらきらとした希望を持って生きようとまでは言わない、けれどそんなに悪いことばかりじゃない。嫌になったらハーゲンダッツを食べてみよう。贅沢だな、と思うことに少しだけお金を出してみて、溶けゆく甘さに思考を集めてみる。たまにならいいじゃない。数万円も数千円もするものじゃないのだから。
 たったそれだけのことでそれなりに幸せになれるのだから、私という人間は簡単に出来上がっている。そうして自分を整えながら、また明日、明後日、と生きていくのだ。
 では、頭痛もしっかり治っているようなので、小説を書きに行ってきます。
 ここまでありがとうございました。