1116「ポケモンシールドを始めたんですけど」

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いや!!!!ラナじゃん!!!!!(わかる人にしかわからない自作の話で恐縮)

(※上記画像は自室のランプがハスボーカラーなことにテンション爆上がりした時のものです)

発売前は全然そんなふうに思わなかったんですが、実際に触って動かそうとしたらなんかもう、ほら、ソファに座ってスマホいじってるあの横顔からもう、うわ、ラナじゃんと思って、正面向いても、ラナじゃんという感じで、もう……だってほら、髪型……前髪も含めて……自作としては今はもう少し伸びてる設定ではありますが切り立てくらいの長さとしてはこれは……背丈の雰囲気とか……驚きですよ……ね……はあ……まあ親バカと言われていいんですけど……完全にちょっと横髪が跳ねてるラナだなと思って……最初はリアルでもネットでも使えるよう本名に擦りもしないリアルのニックネームを使おうとしたんですが、これはもうそうせざるを得ないなと思って、始めて早々最初からにして、

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プレイヤー名ラナにしました!!!

おかげさまでリーグカードシステム楽しい!

なんかもうなにやっても最高に可愛いです。一挙手一投足が可愛いです。あくまでそう思い込んでやってるだけなんですが。久々に作者馬鹿を爆発させています。思わぬところから新たな世界線爆誕してしまった。ここから始まる別世界線で彼女はチャンピオン目指したり図鑑完成目指したり世界救ったりポケモンと触れ合ったりしていくんだなあと思うとなんというか……謎の感慨深さが……自分でやったにもかかわらず若干複雑さがありますが楽しそうに冒険してて何よりです(?)

そういうわけでゆっくりとですが楽しみ始めました、新しいポケモン。面白いですね。分かってたんですがグラフィックが凄すぎますね。序盤から信じられないくらい大量にポケモン出てきてびっくり。

最近ポケモンはせかせかとプレイする傾向があったので、今回はまったりプレイしたい所存。できるだけネタバレを踏みたくないあまりに安易にネットに繋げられない……。

あ、ちなみにパートナーはヒバニーにして「クロ」にしました。白なのに!性格としては真逆なポケモンなのに!ラナがクロを使役してるのとかクロが遊びたい遊びたいとはしゃいでるのとかなんかいろいろとはちゃめちゃなことになってます。勝手に。私の脳内で。別世界線ではこういうこともあり得るかもしれない……という公式に無理矢理二次創作を被せにいくこれまでそういえばやろうとしなかったスタイル。はあ楽しい。脳内が。

 

あまりにも見た目がラナと思ったことを言いたいだけでした。あとランプがハスボーなことを言いたいだけでした。ラナ可愛いよ!良かったらそのうちうちのラナと交換やバトルやしてやってください!はあ〜〜〜こうなるといよいよキキララポニータに会うのも楽しみだな〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!強制終了!おしまい!

1111「112話更新」

 まっしろな闇の112話を更新しました。

 自サイトリンク
 POKENOVEL様リンク


 上記リンクからも最新話にとべます。
 112話は慎重に煮込んでいたらいつのまにか煮込みすぎていたので、放出して、自由な世界に泳がせてあげようと思い更新しました。どうぞよろしくお願いいたします。

 以下は小説の内容とは全く関係の無いとりとめもない話です。
 ツイッターを離れて再三思うのはとりわけ創作という観点においては引きこもっていた方が100倍平穏を保っていられるということです。こうしていれば作品に余計な傷を負わせなくても済むし、私という余計な個人の色で作品の価値を曇らせるという事態を少しは回避できるわけです。誰かの目に簡単に入るSNS群と違い、ブログの文章なんてよほど私に興味がなければ、そしてある程度の長文に慣れていなければ読まれませんし、そういう意味では小説と似たようなものです。理想を言えばツイッターは個人的な感情をむやみやたらと壁打ちするツールではなく、作品のことやできるだけまともな文章を垂れ流すbotでありたいわけです。ブログの文章は小説と違って殆ど推敲をしていないし、浮かぶ言葉をそのまま打鍵しているという点ではツイッターとさほど変わらない気もするんですが、ツイッターの140字の呟きと比較するとまだ理路整然とした文章でありたいとは思って綴ってはいるつもりです。つまり今の状態は理想型に近いわけで、何よりも、良くも悪くも私への外部からの刺激がかなり薄いので、要らん一喜一憂が抑えられるわけです。あの感情の波が更新鬱を呼ぶわけなのです。じゃあもう一生引きこもっていた方がいいんじゃなかろうかとも思わないわけでもないのですが、じゃあこうすることで果たして「作品の宣伝」という役割をツイッターが果たせるかというと非常に微妙なところなわけです。でもたった一人でも読んで貰えれば有り難い・私がこの作品の一話一話の完成形に満足していれば良いという気持ちでいれば多少は不必要な強欲からは距離を置けるんですよね。いや、こういうやり方だと、そしてそもそも物語が面白くなければそもそも一人だって読んではもらえないという最も寂しい結果になる可能性がゼロではないんですが、それについてはあまり考えないようにしていますし、読みたいと言ってくださる方にあまりに失礼なので、それもまた不必要な憂いなわけです。過剰な期待と過剰な卑下はただの毒。尚、人嫌いになったわけでも交流を拒んでいるわけでもなく、一人になって、小説を含め自分自身と向き合っていたいだけなので、主人公近辺へ向けた叱咤激励を含めたご感想・ご指摘等はいつでもお待ちしております。いつもありがとうございます。

1107「僕の孤独が魚だとしたら――。100冊目を読んだ話」

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 うっかり100冊目で写真を撮るのを忘れていて、101冊目も既に入っている状態ですが、残りおよそ2ヶ月を残しながら目標である100冊読書を達成することができました。やったー!
 世間の読書家は100冊どころか200だの400だの1年で読んでいる方もおられるので比較してしまえば騒ぎ立てるような数字ではないのですが、読書が随分疎かになっていた昨今の私としては、本当によく読めています。月によってかなりの差がありますが、日付を確認するとちょうど半年で50冊の線を踏んでいるので一年という目で見るとそこまでアンバランスではなさそうに見えるマジック。
 見ているといろーんなことを思い出します。本の内容に限らず、その時生活がどんな状態だったのか、とかも。記録は良いもの楽しいもの。
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 100冊目は伊坂幸太郎のフィッシュストーリーを数年ぶりに再読しました。
 4つの短編が入っていますが、表題作がとりわけ大好きで、そんなに伊坂読んでなかったので、人気キャラ・黒澤と言われてもピンとこなかった当時。何故か新刊の帯がそのまま残っていて、どうしてもところどころ傷はあるが、保存状態は割と良い。平成21年なので約9年前か、と思うと昔のような思ったより最近のような、不思議な気持ちになります。読み返しても4編とも好きですが、やはりフィッシュストーリーの、展開の繋がり、伏線回収、救われる・報われる疾走感はなんともわくわくとした感情を味わわせてくれます。
 僕の孤独が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出すに違いない。
 僕の勇気が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと若さで、陽光の跳ね返った川面をさらに輝かせるだろう。
 僕の挫折が魚だとしたら、そのあまりの悲痛さと滑稽さに、川にも海にも棲み処がなくなるだろう。
 孤独も、勇気も、挫折もすべて凝縮されている。様々な形で表現されている。もしも、もしもが全て繋がっていく爽快感。現実ではそんなのありえない、と一笑に付すこともできるかもしれないが、仮想だからこそできるまさに「物語の醍醐味が炸裂する」話だなあと強く強く思う。ヒーロー、世界、ロック、くすっと笑えるユーモアなエッセンス、嫌いになりきれない悪者、などなど、伊坂らしさが詰まってる。好き。きちんと言葉にできない。やはり好き。スタンダードというか、アクが薄いというか、誰に対してもオススメできます。
 細かくちりばめられていく伏線要素を鮮やかに回収していく、楽しい読書体験をさせてくれる作品に改めて感謝。
 新刊も読みたいなあ。未読の既刊もたくさんあるので読みたいなあ。
 そういうわけで読書欲の高揚はそのままに、まだ2ヶ月あるので、仮に1ヶ月10冊読むとしてもまだ20冊も一年のうちに読める!というわけでこれからもどんどん読んでいきますよ。

 ちなみに101冊目の流浪の月は海のベストセレクション2019にノミネートされそうな勢いでグッドだったので前情報をあまりいれずに読んでみてもらいたい所存。友達でも恋人でも家族でもない、その関係性には名前をつけられない、ただ傍にいたい。いびつに孤独に生きる男女のおはなし。読んでいたらぐんぐん物語の毒が身体に回っていって……没入。こういう話を書きたいと思っている部分があるので、創作脳も刺激を受けましたわ切ない話が好きな方におすすめ。凪良ゆうは先日ブログで紹介した美しい彼というBLノベルの作者なのですが、こちらは一般書籍となっております。今回これを読んでそもそも凪良ゆうが好きなのかもしれないなとやや確信じみたものを感じたのでこちらも作家読みしていきたいです。
 ところで100冊という目標を予想より早々に達成してしまったので年末に向けて何かもう一つ目標というかこれをできたらいいなというものを立てたいなと思い考えていたのですが、ちょうどkindleに、いつだったかダウンロードしたものの読めていなかった「宮沢賢治全集」という青空文庫の283作品(旧仮名や別文庫で物語自体は重複していたり最後には水彩作品が掲載されていたりしますが)をまとめたものがあるので、今書いている読書リストとは別枠で、年末までにこれを読破できたらいいなーと思って主にお風呂に浸かりながら読み進めています。これこそ作家読みそのものだ……何を読んだのかわからなくなるので手帳に全てのタイトルを書き写したんですが、8ページに渡っています。強烈。かなり短い詩から銀河鉄道の夜のようにそこそこ長いものもあるので楽しみながら読み進めていきたい。宮沢賢治の青く煌めく文章を堪能して、そして全部読み終えたら来年はどこかでまた岩手に行きたいです。
 そしてもう間もなく十二国記の続きが来るぞ!頑張って仕事をさっさと終わらせて飲み会の前に本屋に寄って買うんだぼくは!オオ!
 読書の秋はまだまだ続く。

 ところで多分もう少ししたらまっしろな闇を更新できるような気がしています。むんむん。そちらもどうぞよろしく、です。
 ここまで読んでくださりありがとうございました。

1101「10月の読書記録/HSP/もうすぐ100冊!」

 冷え込むようになり、外にいても部屋にいても上着がかかせなくなってきました。風邪をひきやすい時期だな、と思います。今年は例年より寒い冬になり、インフルエンザは猛威を振るうと風の噂で聞きましたが、果たして。気分の浮き沈みはあるものの、体調としてはうまくコントロールできている気がしています。とはいえ、急な寒さで身体を崩すことは仕方の無いことですので、皆様ご自愛ください。

 前置きもそこそこに、10月が終わったので読書記録を振り返ります。

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 計15冊。9月ほどではありませんので、あまり読めなかったような気がしていましたが、15冊となると大体2日に1冊くらいのペースで読めているので、私にしてはかなりよ速度です。
 ラインナップを見ていると、なんというか、赤裸々といいますか、開けっぴろげといいますか、その時の興味が色濃く繁栄された題名が並んでいるなと思います。
 10月といえば十二国記の最新刊が発売されました。台風がやってきていた日でしたね。強い雨風に負けず、近所の本屋に行ったら、明らかに同じ目的の人たちが同じように買っていて、なんだかほっこり。そんなことをできたのは、台風の直撃進路を免れていたからに他ならないのですが。簡単な感想は過去のブログに書いたのでこの場では割愛しますが、11月の続刊が待ち遠しくてなりません。そういえば、ここを読んでいるような希有な方で、QRコードで読み取れる書き下ろし短編を読んだ方はもうおられるのだろうか。私は11月の3,4巻を読み終えるまでは一応とっておくつもりでいますので、未読です。11月9日が発売日ですが、10月と違って、この日はあまりにも職場の出勤人数が少なすぎることと、夜に飲み会を控えているので発売日からがっつり読むということはできなさそうで少ししょんぼりしています。まあ、仕方なし。楽しみは後にとっておいて、先にやるべきことをきちんとやってから堪能するのもまた享楽。


 それから月末あたりでよく読んだのは、見れば分かるんですがHSPに関する書籍ですね。
 少し前にやかましい騒音や機械音に強烈な不快感を覚えているという話をブログに記しましたが、相変わらず続いております。通勤路を変えてできるだけ車通りの少ない住宅街の中を進む道を選んだり、音を流さずイヤホンをつけて洗濯機を回したりと音に対する直接的な工夫をして負担は軽減されていますが、そもそももっと根本的な問題、もともとの素質や、ストレスによるものが影響しているのではと考えているところに、たまたまHSPの記事を見かけて、興味を惹かれひとまずは本を読んでみることにしました。今、巷では話題になっているのでしょうか。私は読んでないのですが、「繊細さん」がブクログのランキングでも上位になっているので、ホットワードなのかなという予感はしています。
 Highly Sensitive Person略称HSPは、敏感すぎる人、という意であり、心理療法家であるアーロン氏が提唱した概念で、世界の5人に1人はHSPであると彼女は発表しています。音や匂いや色や痛みといった五感への刺激だけでなく、感情や言葉などさまざまな刺激に対し過敏に受け止める人間を指します。良く言えば感受性が高いということです。細かいことはググればいくらでも出てきますのでここでは割愛します。
 音に対する過敏性がとりわけひどくなったのはここ最近なのでなんともいえませんし、自分がそれに当てはまるかといわれると、そうである部分もあればそうでない部分もあり、それは十人十色人間がそれぞれ違うのと同じように、まったくそれと当てはまる人はいないわけで。ただ、思い当たる部分はあるので少なからずそういう面はあるのだろうなとは考えています。なのでHSPについて理解を深めるのは自分を知ることや未来を生きやすくすることにも少しは繋がるだろうという思いからでした。
 ただし、このHSP、セルフチェックが基本となり、かなり主体的な見方となります。占いや心理テストと同じで、そう言われてみればそう、これって私のこと?当たってるじゃん~に安易に至るのは興醒めだし冷静さを欠いている。
 私が読んだHSP関連の本はデンマーク心理療法士イルセ・サンの2冊と、精神科医岡田尊司の1冊になります。イルセ・サンはHSPとはどういう能力を持ち、どういう困難を持ち、そしてどう付き合っていくべきかを全体に優しい表現で書き抜いています(あと装丁が綺麗です)。海外の考えが根にあるのでやや日本人には当てはまりづらい部分もありますが、カウンセリングのように読んでいる人間に語りかけてきており、具体的にどうすることが喜びに繋がるのか、なおかつ障りの無いきれいなことばかり言ってるわけではないのが好ましい点でした。先に読んだ「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」の方が個人的には好きです。
 岡田先生(医師だし思わず先生とつけてしまう)の本は、どちらかというと感覚的に物事が語られがちなこの概念に対し、臨床研究データや事例をもとに論理的にまとめた本になります。最初の数ページでHSPの概念に対してガンガン叩いていることからして素敵。しかしそのうえで、「過敏」と一言でいうには乱暴すぎるこの概念に対して医学的な側面から見つめます。ただの感覚的な話に収まらず、神経系の問題や遺伝的側面、育ってきた環境や、発達障害との関係、克服法など。日本人だからか前述したイルセ・サンよりも事例や具体例に親近感が湧きます。濃厚な一冊であり、「過敏性とは具体的に何者」という疑問に対してはこれで割と満足感は得られました。多分このジャンルの話題はわかりやすくて共感されやすいものが多いと思われるので、そういうものに比べると小難しさはあるかと思いますが、エビデンスに基づいた良質な情報を得られます。HSP関連について気になる方には薦められる。前述のイルセ・サンも個人的には好きですが。精神的側面が強い語り口としては良質な本だと思います。
 レビューやあらすじなどをもとに選んだたった三冊を通し読みしただけでいわゆる過敏性の何を知ったんだという気はしますが、ひとまずこれに関する知識は満足したし、もう少しこの三冊を読み込むのがいいかなと。知識を深めることは、自分を知ることに繋がる。自分を知ることは、自分に合った生き方に繋がる。それは学ぶ面白さの一つですね。

 さて、読書リストを見て貰えればわかるように、10月で年間の読了数が99冊に到達し、あと1冊で今年の目標である100冊に到達しようとしています。9月からたくさん読めているのが良いですね。まさに読書の秋です。
 この100冊の中には、1冊にカウントしても良いのか微妙なところでもある短編も含まれているのでちょっとずるをしている気もしていますが、それでもここ数年の中ではかなりの量を読めています。
 読書は娯楽。
 楽しいから読むには違いありませんが、多く読むことは何に繋がるのだろう、とこの一年考えており、いくつか、自分なりの言葉・答えが見えかけています。答えというのは一つではないし、そこに正解も不正解も無いし、いくらでも変容する。変わるからこそ、今、ここ、の考えはどこかに留めておきたいし、今年が終わる頃に、一年のまとめとしてきちんと言葉にして残しておきたいと思う。
 100冊目をどうしようかな、と10月末に本棚を眺めていましたが、大好きだけど、そういえばここ数年読み返していなかった本の中から一冊選ぶことにして、もう決めています。新鮮な気持ちで再読しております。

 さて、連休ですね。私は残念ながら仕事がありますが、遊びに行ったり、ゆっくり休んだり、思い思いに楽しい連休をそれぞれ過ごされますように。私も一日は休日があるのでその日は好きなことをして過ごします。
 秋の夜は長いですが、夜更かししてリズムを崩して体調を崩されぬよう。おやすみなさい。

1025「小さな新しい挑戦をしていくこと」

 今日のお弁当。

 

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 鯖の切り身が98円で売られていたので、買ってみた。写真で改めて見ると、笑えるほどに鯖の存在感には迫力がある。
 ところで、現在住んでいる住居の台所には魚を焼けるグリルが備え付けられている。これは思わぬ収穫だった。というのも、引越先の条件の一つに二口コンロはあったのだけれど、グリルという希望は微塵も考えていなかった。今の住居は個人的には一人で暮らすのにちょうどよく心地よく過ごせる十分なゆとりを持っている。そして台所が広い。以前住んでいたマンションはとにもかくにも台所が狭く、さほど料理が得意でもない人間にはそれなりに大変な空間だった。それが今となってはコンロ二口な上に何故かグリルまでついてきたのだ。しかし、故郷は沿岸部、現在は内陸部、魚に関してはとりわけおいしさへの不信感が強く、スーパーの鮮魚コーナーは大抵横目でスルーしている。だがしかし、だ。それでも魚は食べたくなる。往々にして魚は高いので、こうして安売りされているものくらいにしか手を出さないけれど、そうして選ばれた鯖を、引っ越して初めてそのグリルで焼いたのだった。それはそれなりにこれで大丈夫なのかと不安になりながら過ごす朝だった。肉もそうだけど、とりわけ弁当に入れる肉・魚で生はきつい。きちんと火が通って欲しいものの、うっかりしたら焦げる。グリルの加減が正直よくわからない。様子を何度も確認しては弱火で地道に焼く。タイマーも無く、その場の己を信じてただただ美味しい鯖を食べることを目指して。そして出来た鯖の塩焼きはたいそう美味しそうに見えた。身の先を軽くほぐすといい感じに焼けている、ようだった。その場ですぐに食したい衝動を抑え、まるごとお米の上に乗せ、職場に向かった。
 午前中は鯖を食べることを心待ちにしながら過ごしていたとしか言いようがない。弁当の良いところは、自分の好きなごはんを食べられる点だ。
 待ちに待った昼食で食べた鯖は、想像を遙かに超えて美味しかった。鯖の身が引き締まっていて、そして焼き加減がちょうどよかった。缶詰以外で食べた久しぶりのまともな魚はささやかな喜びをもたらして、そして新しくグリルを使うという挑戦が成功に終わったことに対して心の中でガッツポーズだった。

 小さく新しい挑戦を、少しずつしていく、というのがここ最近の一つの個人テーマだ。
 何か大きな挑戦をしたいわけでも、大きな夢や目標を抱いているわけでもない。そもそも大きいプロジェクトを掲げられるほどの気力は無い。
 料理はまさにそれにあたる。何か、というと、一週間のうち、一回は、何か新しいものを作ってみる、ということだ。今回でいえば、鯖の塩焼きも該当する。ついでにいうと、今夜は帰り際に卵料理を食べたくて偶然見たクックパッドのお知らせに出てきたふわふわ玉子丼を作った。鯖の塩焼きも玉子丼も、料理を作る人からしてみれば、料理を普段やってなくてもそれなりに上手にできる簡単料理にあたると思う。そういうものも、一人暮らしを始めてからは作ったことがなかった。作ったことがないものを、一歩踏み出して、作ったことがあるものにすると、そのハードルは途端に下がる。怖じ気付くほどのものではなかったと。美味しいものができれば、また作りたくなる。そうして引き出しは増えていく。その増えていくものは本当にささやかなものばかりだ。面倒臭くなってしまうちょっと凝った料理には手を出していない。しいていうなら少し前に毎週作ってたハンバーグくらいだ。でも、簡単なものでいい。簡単なものでも、作ったことが無いものは、未知であることには変わりがない。そして新しいものに手を出していき、簡単なものを積み上げていくと、あれもできそう、これもできそう、と広がっていく。炊き込みごはん、しいたけとチーズの肉巻き、キャベツの卵とじ、ペペロンチーノ、などなど、この秋だけでも、少しずつ引き出しは増えている。一度しかまだ作っていないものも、何度も作っているものもある。それでもいい。失敗もある。目分量でやってしまうがゆえに味付けがうまくいかなくて塩辛いものだらけになったことも何度もある。それでもいい。やってみなければわからないことが、たくさんある。やってみたら簡単だったけど、やってみる前まではものすごく難しいもののように思えたものもある。それはすべて、挑戦して得た理解だ。
 広い台所の部屋に引っ越してきたのは正解だと思う。料理が以前よりも楽しくなった。
 弁当を毎日作ってくると、職場で良く「すごいね」とか「女子力が高い」と言われる。私の弁当は(今日の鯖は例外だが)作り置きのおかずと冷凍ごはんで成り立っているから朝にかける時間など五分にも満たないレベルなので恐縮しきりである。毎日続けられていることには自分でも感心するけど、弁当だって、やり始める前は考えもしなかった。作り置きという概念を知り、いかに苦手な朝の時間で短時間で作られるかを考えて、無理のないようにやっていたら、なんとなくできるようになった。だから決して女子力が高い、とかでは無いんだよな、とは思う(女子力という表面的な単語は簡単に使える便利な言葉ではあるが褒めてるのか揶揄してるのか分かりづらい上にそもそも「女子力」の意味する女子って何?と考えるほどモヤモヤして年々苦手になっていく)。生活を大切にしたい、とか、好きなものを食べたい、とか、ほどよく節約したい、とか、論点は価値観に至る気がする。お子さんがいれば、その弁当を作るついでに、とかになり得るだろうけど。何を重視するか、何を大切にするか、何を好むか、といった、価値観。休日に簡単なネイルをするだけの、あれもそうだ。大切にしたいものを、大切にしていたい。頭に浮かぶ物語や言葉を掴みたい。生活を整える力をつけていきたい。小さな挑戦を続けているうちに身につけていくものは、きっと自分を形作る力になる。その力は、困難が打ち付けてくる中で、流れて崩れてしまわぬように、きちんと立っていられる力になり得ると思う。たとえ、そのひとつひとつが小さくとも。
 勿論、そんなたいそうなことを常日頃考えているわけではない。ただただ、私は、繰り返しになるけど、大切なものを、大切にしていたい。声高々に言うほどのことでもない小さな挑戦で世界が僅かに広がる喜びを味わいたい。積み重ねる毎日に一種の愛情を与えたい。
 もう一つ最近まじめに始めたのが手帳を使った記録で、あまりできていなかったバレットジャーナルをきちんとやるようになり、そこで簡単な日記もつけたりなどしており、それがまたささやかな楽しみを生んでいるのだけれど、また今度の機会にする。
 今日も生きている。明日も生きていこう。

「私たちは英雄にならなくても、ほんの少しの勇気で、誰かを救うことができる。大きな流れに、静かに抵抗することができる。(やがて満ちてくる光の/梨木香歩より)」

1013「いたわること/十二国記」

 大型台風が通過していきました。
 私の地域はただの強い雨風が吹き荒れるばかりで特に被害はありませんでしたが、夜が明けた各地の水害状況を映像で目の当たりにして、胸が痛むあまりすぐに消してしまいました。申し訳ない。
 時期的にもうこれが今季の台風の最後かなと思うのですが(思いたい、という願望)、毎年どこかしらで目を疑うような水害が発生して、この国はどこまで災害大国なのだろう、たちうちしようのない強大なある種の暴力に対して、自分の身を守ることしかできない現実、壊れる時にはあっというまに壊れるあっけなさに立ち尽くすしかできない。
 怖い思いをされた方々、今もされている方々、被害に遭われた方々に、少しでも早く穏やかな時間が訪れることを、祈るばかり。


 話が変わり、自分の話になり恐縮ですが。
 ストレスが溜まっているのか、疲れているのか、わかりませんが、大きな音、やかましい機械音というものに耐えられなくなっています。それから、イヤホンのような、鼓膜を至近距離から直接打つような音。
 洗濯機や掃除機の音、近くの道路を通る車やバイクのエンジン音など、耳に入るたびにざらりと不快感が走っていきます。
 今住んでいる場所は住宅街の中なので、基本的に前引越前より幾分静かな場所で過ごしやすいのですが、それでも車は通るし、生活をしていれば洗濯機の音からは逃れられない。当然人混みの中などもってのほかで、これまで休日になると当たり前のように外に出て、買い物までせずとも、喫茶店やらなんやらで本を読んだり作業をしたりしていたのですが、そういう場所での人の目や聞こえる会話やBGMも想像するだけでなんだか辛くなってしまって、どうにも行けなくなってしまいました。
 仕事では謎のスイッチが入るので特に気にならないのですが、仕事以外になると、途端にひよわになってしまう。些細なことで苛立ちを感じてしまってしまう。そして、優しくできなくなっていく。
 そんな状態なので自然と家にいることが多くなり、できるだけ自分をいたわること、生活を大切にするということに重きを置いて生活をしています。
 去年、養生旅行と称して箱根の温泉宿に一人旅をしに行ったことがあって、そういう旅行もいいなと思うし何度か「今度の休みこそは海を見に行こう」と決意したのですが、あんな贅沢はそう易々とできるものではないし、電車が今は負担だし、頑張って遠出をせずとも自分の身の回りだけで養生できるようになったらそれが一番良い。
 養生といっても大したことはしていなくて、ただ、生活を大切にする、そこに注力する。
 部屋をきれいにすること。水回りを掃除すること。料理をすること。作ったことのない料理をしてみること。掃除機は昼間にかけること(夜よりも昼間の方が音が響かないような気がするから)。洗濯機は料理などの作業と並行して行うか、リラックスできるお風呂に入りながらやりすごすこと。本を読むこと。お茶を淹れること。
 そして、生活音に耳を傾けること。
 包丁でものを切る時の音が好きです。蛇口から出る水の音が好きです。皿やコップをテーブルに置く時の音が好きです。雨の音が、台風直後なので少し言いづらいですが、好きです。秋の虫の声が好きです。キーボードを叩く音が好きです。ページを捲る音が好きです。音楽も、最近はようやくまた少しずつ聴けるようになってきて、大体ピアノ音楽や癒やし系の動画を流し続けたりしています。ただ、最初に言ったようにイヤホンで聴くのは音が近すぎるのと耳に異物が詰まってる感じが少し邪魔なので、iPhoneのスピーカーモードで聴いたり、iPhoneに入ってない曲はPCから流したりしています。Bluetoothのスピーカーを買おうかなとも考えるんですが、最近ウォークマンが壊れてしまったので(そして放置している)増税前でもその一歩が出ませんでした。
 要は、周りの小さな生活音に耳を傾けるようにして、そうするだけでなんとなく、ちょっとした幸せを感じられるような気がして。
 それから、ちょっと前から休日は簡単に手の爪にマニキュアを塗って過ごすようになりました。
 職業柄、マニキュアは勿論爪を伸ばすのも完全NGなため、たいてい1日休んだら次の日また仕事なので1日限りのちょっとしたおしゃれなのですが(爪が傷みそうだなとはちょっと思っている)、これがなんだか気に入っています。急な話になりますが、手が好きです。手フェチです。世の中いろんな手がありますが、その中でも実は自分の手はとても好きな部類に入ります。自分の身体のあらゆるパーツの中で、唯一好きと言える部分です。そんな好きな手をちょっとしたことで飾る、好きな色で飾る。色も好きです。色が好き、というと何が?という感じがしますね。様々な色彩が好きで、ちょっとした色を爪に塗って、ちょっとだけ光る、ささいな変化、彩りが加えられる、指先に違う魂が宿ったようで、手が可愛くなる、それが好きです。ちょっと気持ち悪いなとも思うんですが、自分の身体をそうして好きでいられる、それも手という頻繁に目に入るものであること、色を加えることでなんとなくいつもより綺麗に見えること、小さな工夫で幸福を覚えるなら、気持ち悪かろうとなんだろうと良いことじゃないか。ちなみに前述したように家事をわりときちんとやろうと心がけているので、つまり休日の料理なんかもマニキュアをした手でやっていて、これは完全に賛否両論があるだろうし私もこれに関しては抵抗が無いわけではないのですが、他人に食べさせるわけでもなく自分の身に入っていくわけだし、全て手袋をして料理をするのも嫌だし、落としていません。簡単に調べると手袋するに超したことはないなとは思いますが、料理を手袋ですることの方が抵抗を覚えてしまう。
 音の話だの、爪の話だの、まとまりが無いように思われるかもしれませんが、一貫しているのは、自分の好きなものに意識を向けること、生活と心を整えるということ。
 ちょっと前に、気の許せる友人とたっぷり笑って美味しい食事とお酒を飲み交わしたら、なんとなく発散できるような感じがして、一昨日実は久しぶりにカラオケに行きましたが、随分と疲れてしまって、まだ難しいな、と。
 デスク用の椅子をようやく買って、今日届いて、安かったのにかわいくて座り心地も悪くはなく、今のところ気に入っています。本もそうですが、アマゾンレビューは頼りになる……。そうして生活空間を整えていって、いたわりながら生活しようと思います。好きなものを大事にしながら。その感性を撫でながら。

 今日のおとも。
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 外のパッケージを開けただけで蜂蜜の香りがしました。強烈。
 ちょっと思ったより香りや甘みが今の身には強すぎたかな……と思わなくもないですが、蜂蜜自体は好きなので、美味しいです。

 台風やらの自然災害は巨大な暴力ですが、人間、生きているだけでも些細な暴力に見舞われがちですし、たいしたことないことで苛々したり、嫌いになったり、嫌な思いをしがち。嫌いという感情は自分にとってこれは嫌なものなんだという物差しになって自分を理解・守ることに繋がるので一概にだめではありませんが、最近嫌いという基準値がどんどんゆるくなっているような気がして、それが他人にしても簡単に可視化されてしまって、とても見てられなくなる。優しくなりたい。まずは自分に優しくしてあげよう、な今日この頃。
 たとえば好きな本を読んだりね。
 そう、たとえば昨日発売になった十二国記を読んだりね。
 ね。
 はい。
 新刊読みました?
 私は読みましたよ。二巻まで、きっちり。
 ねー。
 ねー……。

 ↓どうしても言いたいことについて超絶ネタバレにつき白字反転で読めます。


 本当に死ぬとは思わないじゃないですか。
 驍宗様……あまりのことで俄には信じがたいんですが……一巻で短刀を研ぐ少年と一緒にいたおじさま、流れからして驍宗様だという予感はしていたんですが、だからこそ途中で死んだ描写の時に「えっ」となってそこで「ならばこれは驍宗様ではないこれは幾度も書かれている困窮した民を書いた描写の一環だ」と思い込もうとしたんですが最後で、最後で……白い御髪に朱い眼で……もう勘弁してほしい……いや、彼が驍宗様であるとはまだ限らないんですが、そっくりさんで、影武者かもしれないんですが、語られる生きていた頃の姿や言葉が明らかに驍宗様でつらい。こんな末路なのが本当にきつい。はー、けっこう信じていたんだよなあ、驍宗様と泰麒の再会を……。

 とはいえ、白雉が末声を鳴いていないという事実がある。
 泰麒が別行動をした時と、驍宗様の死は同時期だという。泰麒にいかほど麒麟の力が実際のところあるのか、それとも描写通り本当に力は無いのかわからないところですが(私が単に疑ってるだけなのかもしれませんが、この実際のところ「わからない」という感覚を描くのが上手いなと読みながら痛いほど思う)、驍宗様が本当に死んでいて、阿選が天に選ばれ次の王となり、しかし白雉は落ちていない(一巻で泰麒が白圭宮を訪れた際に、白雉の具合を確認してまだ落ちていないという描写がある)。驍宗が一度王として君臨したのは間違いがない。そもそも、驍宗が死んだというのも、基本は不死身の王が死んだっていうのはなんか、引っかかるし……。もちろん首を落とせば王も死ぬのだけれど。王が王でなくなるのは、死、あるいは失道、そして自ら王を辞するか。ただ、王が死ねば白雉は鳴く。となれば驍宗は死んでいないとみえる。けれど、作中で驍宗は行方不明になり、驍宗と思わしき人物は既に亡くなっている。
 阿選が、本来は驍宗に対して謀反を起こすような人物ではなく、人柄からしてみてもとても国を放置するような人物ではない。しかし阿選は驍宗を殺そうとし(と語られている)、泰麒の角を折った。本当は、驍宗の良き好敵手であったというのに。勿論、驍宗が王になったことで、何を考えていたかは、わからないけれど……。単なる嫉妬やらで討つような人物のようには思えない。
 稚拙な頭では、驍宗がなんらかの理由で自ら王を降り、阿選は謀反か協力で驍宗を殺そうとし(しかし実際には殺さず、行方不明として姿をくらませ生かした)、どうであれ玉座空位となり、そして阿選が王として選ばれた……白雉が「王の死」によってのみ末声を鳴くのなら、こうなれば辻褄は合うように思うけれど、どうでしょう。ちょっと白雉の設定とかがうろ覚えなので微妙だけど。あるいは十一章で語られていたように、驍宗が王としての道を誤り、阿選はそれを正したという路線か、でもこれはミスリードな気がする……。驍宗の戴を治めた半年は果たして誤っているといえるほど間違っていたのか? 驍宗様贔屓目なこともあって、とてもそうとは……。ただ、泰麒が幼き頃、それこそ驍宗を王として選ぶ際にずっと感じていた、「この人は王ではない」という感覚についてもこうなってくると余計看過できないですし(驍宗に対する恐怖感も含めそれは王に対する畏怖であると描かれていたはずだけれど)(延王だって「この人は必ず国を滅ぼす」と解っていて選ばれたという描写があるし)、その王ではないという直感がもしも「本当」なのだとしたら、とんでもねえ伏線回収だなとは思うけど、も……!!!ああ、でも驍宗が死んだというのは、ちょっと、信じがたい。感情的になってしまうと本当ならば本当に悲しい。仮に泰麒に麒麟の力、天からのお告げを聞くあれが戻っているのなら、泰麒は既に驍宗の死を理解しているはずなんだよなあ、そんなん辛いじゃないですか。冷酷になるのもわかる。いや、まだ実際のところどうか解らないけど。はー、私はね、驍宗と泰麒の不器用なペアが好きだったんですよ……大きくなった泰麒と会う場面を見たかった……まだわからんけど……もしかしたら生きてるかもしれない……私達は小野不由美の掌の上で踊らされているだけなんだ……。はあ……。だってこれから二巻あるし……残り二巻で何を語るんだ……どうなるんだ……この続きをきちんと一ヶ月後には読めるというのは有り難いけど既に待ち遠しい……。
 はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっこの物語、辛いですよね。辛いけど面白いんですよね。難しいけどやみつきになってしまいますよね。多分いろんな考察が回ってるんだろうけど見ないでおきます。
 いろいろ言いたいことはあるけどまだ謎だらけなので再読しながらおとなしく待とう!また言いたいことが出てきたらここに書こう!

 ↑白字終わり。
 はーっ次が恐ろしいけど楽しみです。よく書いた!ラグビーを見て今夜は小説を書きます。
 ここまで読んでくださりありがとうございました。

1004「9月の読書記録/雑記」

 10月も始まり、2019年も残り3ヶ月を切ってしまいました。皆様、元気にお過ごしでしょうか。
 9月は途中から事切れたように消えていましたが、なんとかやっておりますし、相変わらずハスボーと戯れる日々を送っています。こんなにもぬいぐるみを愛でる精神が私の中にはまだ宿っていたのか……と自分でも奇妙に感じる程度に、しょっちゅう青い身体をふにふにしては抱きながら家で一服し、日常生活で出来た擦り切れた心を癒やしてもらっている日々です。

 

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 そんな9月ですが、読書の方はこれまでの月と並べると群を抜いて読むことができ、最終的には19冊読了することができました。わーい!夜が冷めてきて風呂に入りながら電子書籍を読むようになったのも大きい。あと1冊で20冊だったのできれいに終わらせたかったくらいですが、思いの外梨木香歩の「やがて満ちてくる光の」というエッセイが一篇一篇重たい、というか、ひとつ読んでは噛みしめる、というような感じですたすたと読ませてくれない筆力があり、9月に間に合わせることができずぎりぎり10/1になってしまったことが若干悔やまれます。梨木香歩のエッセイは何冊か読んだことがありますが、そのたびに時間がかかっています。
 9月はなんといっても八咫烏シリーズを読破したことが大きかったですね……。フォロワーさんが読んでたのを見て気にはなっていたのですが、キャラクターの機微がふんだんに表現されて、世界観も深く深く掘り進めてくれる長編はやはり良いものだなと、読んでいても心の奥まで揺さぶられて気持ちがいいなと、改めて実感した次第でした。特に第一部終盤を読み進めるのに苦しみは伴いましたが……本当に苦しくて胸が裂かれる思いでしたが……その苦しみも含めて気になってページを捲る手が止まらない動悸が激しく目は冴えていくという感覚はたまりませんね。今年の序盤に読んだ「新世界より」も苦痛と数多の犠牲を伴う長編物語でしたが、そういった物語が好きなのだと確信せざるを得ません。
 他に読んだ「家なき子」も児童文学ですがとても児童向けとは思えない描写も含まれつつ、旅物を愛する人間にはとても楽しい読み物でした。子供だというのに何故こうも耐えがたい困難が降りかかるのかと、呪われているかのような展開に胃がきりきりしつつも全体に渡っている愛情や優しさが沁みるようで、確かに作者はこれを自分の子供のために書いたんだろうとしみじみ考えさせられる作品でした。好きでしたね。
 八咫烏シリーズと双璧を成して9月私を狂わせたのが美しい彼シリーズで、これは久々に読んだがっつり商業BLノベルなんですが、もう、これに関しては……萌えるとしかいいようがなく……BLは最高だな!吃音症を持つがゆえに幼い頃からいじめられている主人公(攻め)とそんな主人公が高校二年生の時に転校してきた美人で高慢な同級生(受け)の織りなす高校生から大学生にわたる物語なんですが、二人の成長も、擦れ違いも、気持ちが合わさった時の幸福も、キャッチーな言葉選びではあるのですが丁寧に書かれていて、読んでいてもどかしさもあり気持ち良くもあり、異様なまでに夢中になって読みましたね。勿論(?)ね、この手の話にはあって当然のツッコミどころはありますよ、でもね、そんなのはどうでもよくなるくらい本当に楽しかったし、文章もお上手ですらすら読めるし、ご褒美おせっせは激しすぎないけど淡泊すぎない個人的にはちょうどよいえっちさで……とっても可愛い汁が出ています(言い方)(下ネタ苦手な方ごめんね)……はあ……物語から得られる萌えってこんなに心を潤すのかと久々に味わったような感覚で、BLは最高だな!(二度目)どれだけはまったかというと、うっかりドラマCDを買ってしまう程度には閾値を突き抜けていきました。YouTubeでかいつまんで音源を聞いてきたことはありますが、がっつり買って聞いたのは初めてでした。小野友樹斉藤壮馬がメインキャストで……それはもう上手かったです……。原作より脚本はシンプルでしたが吃音も可愛さも流石としかいいようがなく表現されてて大変満たされてしまいました。売り上げが好評で2巻もドラマCD化される奇跡が起きないだろうか(遠目)凪良ゆうは一般書籍でもこないだ出た本がどうも好評らしいのでそちらも読みたい。美しい彼シリーズは可愛いBLが好きな方にはとりわけはまると思います。電子書籍でも買えます。ぜひ!
 早口で語ってしまったオタクの心境である。
 他の本も語りたいことがありますし、本当は当初の予定では今日から映画公開となった「蜜蜂と遠雷」の話もするつもりでしたが、時間も遅くなってきたのでここらでしめようと思います。
 さあ、10月はついに……十二国記の最新刊がきますね!
 10月12日。ついにあと一週間となりました。嘘みたいですね。まだ先のような気がしていたのに。もうずっとドキドキしています。12,13日は仕事休みにしておきました(どや)あ~っ本当に楽しみです。当日はまさかのナックラーコミュデイが被ってしまいましたがポケGOはポケGOで楽しみながら、十二国記の世界に浸ろうと思います。その前に軽く過去作品をさらいなおしたいところではありますが、最近買った本も読みたい。読んでも読んでも、次から次へと読みたい物語が増えていく。
 なんにせよ、今年の目標としている100冊という節目が見えてきました。10月はどのくらい読めるのか、楽しみです。


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 なにかで心にすっと傷ができるたび、もっと、ささやかでいいから優しい方向に傾いていかないだろうか、と思います。でも、なかなか世界の方はそうならない、ままならないから、きちんと自衛したり、自分の方を整えていく方がよほど建設的。
 読書の方はそこそこ捗っていましたが、執筆の方は書けない期間が長くて、それでもふとテキストファイルを開いてキーボードを叩いてみると、文字数はそれほどたくさんでなくとも、自分の予想していたよりもすらすらと言葉が出てきたりします。その瞬間に湧き出すのは喜びというよりも驚きに近く、こうしてブログを書いている今も、終わりまで文章を書けている不思議に驚きます。しかしそれはつまり、からっぽなどではなく、自分の中には何かしらを生み出す源が生きており、それは豊かな噴水のように何もしなくても湧いてくるものではないし、枯れてしまったように何も出てこない時も勿論あるけど、きちんと水を与え、きちんと食べさせて、栄養を与えて。新しいものを入れて思考を動かして、きちんと休めば、またこうしてパソコンを開くのでしょう。
 読書に限らない今のインプットや、どこかもやもやとしながら自分の中で練り込んでいる心が、単純で感情的な形ではなく、いずれ文章だったり、何か別の表現だったりちょっとした挑戦だったり、なにかに変換されて気持ち良く放出できるように少しずつ模索していきたいです。
 Twitterは頭が痛すぎて離れた日からずっと見ていません。予想が当たっていれば、たぶん、ハウグラ関連に関しまして何かしらのリプライがあの日来ているとは思うので、それが心苦しくはあるんですが……。まだ暫く見ないつもりです。でも死なない限りはいつかは戻ります。
 ここまで読んでくださったあなた、ありがとね。