0508「美味しい塩パン」

 まず昨日の記事のその後。
 結論から述べれば、ナガミヒナゲシは散っていた。
 その未来を全く予想していなかったわけではないけれど、何故か割と心の底から今朝もあのオレンジを見られると信じていた。細い茎や繊細な色味は確かに弱そうなイメージだけれど、雨に打たれて首を擡げていた様子からは、雨など降れば瞬く間に散っていく桜なんかよりもずっと堪え忍ぶような印象を受けたせいだ。
 今朝はちょうど雨こそ降っていなかったけれど、花は完全に落ち、その根元のあたり、潰れて汚くなったオレンジの花弁がコンクリートにへばりついていた。それもたった一枚か二枚残っているばかりで、きっと風に吹かれ雨に打たれ、或いは車に轢かれ粉々に磨り潰されて、どこかに消えてしまったのだろう。花弁を失ったところには額と、実のようなものが残っていた。時間に余裕はあったけれど、写真も撮らず、さっと観察しただけでそのまま通り過ぎてしまったのでじっくりと眺めたわけではない。どこかショックな気持ちを携えた朝だった。花は儚く刹那的だ。けれどタイミング良くその美しい姿を見られたのは運が良かったと言えるのかもしれない。爆発的な繁殖力というのなら、良いか悪いか、今後も見る機会はあるだろう。その時は、今度こそ立ち止まろうと思う。

 ひなげしの話はここで一度終わらせて。
 基本的に毎日職場と家を往復する日々を送っているわけだけれど、その道の途中に美味しいパン屋がある。パン好きな同期が教えてくれたお店で、試しに買って食べてみたら確かに美味しかったので最近自分の中ではブームになっている。
 朝は降っていなかったけれど天気予報通り夕方から雨は降り続いていた。雨の日は二割引らしい。今日は少し落ち込んだ帰り道だったので立ち寄ると、売れ残ったパンがいくつか並べられていて、私の一押しである塩パンもいくつか残っていた。恐らく店の代表格であろうその塩パンがそれもう旨いのだ。明日の朝のためにも買うか逡巡して、結局今夜の一つだけ買うことにした。割引は会計の時に気がついた。100円が二割引、税込み価格で86円。申し訳なくなるほど安い。雨の日に喜びを感じる。
 塩パンは嘗て私の母親がはまっていて、その時の影響と名残で見かけるとつい買ってみたくなってしまう。
 この塩パンはバターがふんだんに含まれていて、家でレンジで温めてすぐに食べるのがお決まりなのだけれど、ほどよく温めるとパン生地はちょっと力を入れただけでひしゃげる具合になり、固めのパンを好む人からしてみればちょっと邪道かもしれないが、この柔らかくなったパンを噛むと、さく、とやや固い生地の奥はふんわりと柔らかく、染み込んだバターが一気に口の中で溢れるのだ。じゅわ、という音が聞こえてきそうなレベルのそれ。これが旨い。優しくて濃厚であたたかなバターに、アクセントのきいた塩気が混ざってそれはもう頬までバターと共に蕩ける勢いだ。ちょっと大げさのように感じるかもしれないのだけれど兎に角この塩パンが大変美味しく私の大のお気に入りであるという点を理解してほしい。そして切ないことに瞬く間に口の中から消えていき気付いたら手の中からも消えている。一瞬の出来事だ。しかしその時確かに幸福になれる。
 普段の100円でも安いくらいなのに、それが今日は86円。なんて有り難いのだろうか。この塩パン、偶に夜は売り切れていたりする。その瞬間はひどい脱力感に見舞われるのだけれど(もちろん他のパンも美味しいものの)、多めに作ってあるだろうに、人気なのは一般的な評価としても高いことの表れだと思う。これからも足繁く通っては塩パンを買うのだろう。
 そういうわけでちょっぴり沈んだ夜も美味しいもので静かに上昇軌道に乗せて、粛々と過ごすのみ。食べ物が日々を彩ってくれる。明日も頑張りましょう。