0613「地味に続いている習慣の種」

 本題の前に長らく続いている例の道端に咲くひなげしについて。
 一週間前くらいのことになるかとは思うのだけれど、あのひなげしはとある日忽然と姿を消した。刈り取られたか抜かれたか、とにかく根元からきれいさっぱり消えてしまったのだった。以前言ったようにあれは雑草の一種なのだからそうなることもおかしくないのだけれど、それなりに少し寂しい思いを抱えながら今も同じ道を通っている。となれば、前急いで撮った写真は雑ではあるけれどある種貴重なものになったのかな、などと。
 梅雨は嫌いではないのだけれど、曇りやしとしと雨が続いて空気が湿り灰色がかっているような雰囲気の中で、柔らかなオレンジがいい感じに映えていて美しかったのだけれど、仕方の無いことだ。この話題もようやくここで一区切りがついたというところだろう。

 生活がそれなりに一変して二ヶ月以上が経ったわけだけれど、地味に続けていることが二つある。
 一つは弁当。もう一つは家計簿だ。
 弁当は相変わらず週末に一気に作り置きのおかずを作って朝に詰めるだけという楽ちん行為をしている。おかずを作った直後に食べるたびにやはり調理してすぐのものが美味しいなどという超絶当たり前のことを実感するのだけれど、朝の時間をいかに短縮できるか、面倒臭がりで朝が苦手な私には重要事項なのだった。流石に二ヶ月もやっていればそれなりに手先も慣れてきて、詰めるだけの弁当は五分くらいで作り終わる。
 弁当を作ることによる節約は功を奏していると、それこそ家計簿を見ていると思う。具体的な金額を出すような気にはならないけれど、それでなくとも飲み会や遊びなんかでどかんと食費の支出が出ることもある。弁当に助けられてるという現実があるからこそ続けなきゃなあと思うし、実際やっていて割と楽しくやっている。料理自体はそれほどレパートリーがないのだけれど、ネットとか本で見たレシピを実践するのは楽しいことだ。弁当に使えて、自分のできる料理のレパートリーを増やしたい。

 

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 家計簿は今アナログでやっている。家計簿専用ノートとかではなく、ただのキャンパスノートを採用。まさかいつだったか使わずなんとなくでとっておいたB5ノートが使われる時が来るとは思いもせず。この思いっきり「家計簿」とでかでかと書いてしまったのがあまりにもクソダサくてやってしまった感ではある。しかも今気付いたけれど誤字をしている。なかなかに恥ずかしい(といいながらブログ画面の華やかさ(?)のために写真を載せるという自傷行為)。
 レシートを貼り付けてその日の支出をマンスリーページに書いているくらいのものなのだけれど、二ヶ月も続いたのは初めてのような気がしてならない。何が自分の中でしっくりきたのかよくわからないけれど、自分の稼いだお金の管理そのものであるししっかりしたがるということなのだろうか。そういうことなのだろう。これも案外に楽しい。何にそんなに使ってしまったのか、何が無駄な買い物だったのか、後から振り返られるのはやはり便利。スマホアプリも以前試していたけれど結局定着しなかった。スマホの、円グラフとかで内訳が表示されるのはスマホならではで、良さでもあるんだけどね。私にはいまいち合わなかったなあ。これはどこまで続くかな。まあ時々サボるけど。無事に続いてノートを変えられたらその時はせめて家計簿の文字は考えて書こうな。

 そういうわけで以上の二つが新生活始まって以来続いている。どちらも学生時代まではまともに続いたことがないし得意分野ではないはずなのに、不思議だね。一種の義務感があるからだろうか。これからも続けていきたいな。新しい習慣ができると、自分自身が少しだけでも変わることができたような、そんな気分になれるから。
 ところで明日は休みです。明後日も休みです。二連休なので、やらなければならないことの皺寄せはこなしたいしやりたいことを一気に進めたいし、今の時期なので紫陽花を観に行く予定です。写真等お待ちを。明日も仕事あるいは学校の方、がんばってくださいまし。私はここ最近疲れて荒み気味だったこころを癒してきます。一日一日を、大切に過ごしたい。楽しみ。