1025「小さな新しい挑戦をしていくこと」

 今日のお弁当。

 

f:id:cure121wind:20191026002224j:image


 鯖の切り身が98円で売られていたので、買ってみた。写真で改めて見ると、笑えるほどに鯖の存在感には迫力がある。
 ところで、現在住んでいる住居の台所には魚を焼けるグリルが備え付けられている。これは思わぬ収穫だった。というのも、引越先の条件の一つに二口コンロはあったのだけれど、グリルという希望は微塵も考えていなかった。今の住居は個人的には一人で暮らすのにちょうどよく心地よく過ごせる十分なゆとりを持っている。そして台所が広い。以前住んでいたマンションはとにもかくにも台所が狭く、さほど料理が得意でもない人間にはそれなりに大変な空間だった。それが今となってはコンロ二口な上に何故かグリルまでついてきたのだ。しかし、故郷は沿岸部、現在は内陸部、魚に関してはとりわけおいしさへの不信感が強く、スーパーの鮮魚コーナーは大抵横目でスルーしている。だがしかし、だ。それでも魚は食べたくなる。往々にして魚は高いので、こうして安売りされているものくらいにしか手を出さないけれど、そうして選ばれた鯖を、引っ越して初めてそのグリルで焼いたのだった。それはそれなりにこれで大丈夫なのかと不安になりながら過ごす朝だった。肉もそうだけど、とりわけ弁当に入れる肉・魚で生はきつい。きちんと火が通って欲しいものの、うっかりしたら焦げる。グリルの加減が正直よくわからない。様子を何度も確認しては弱火で地道に焼く。タイマーも無く、その場の己を信じてただただ美味しい鯖を食べることを目指して。そして出来た鯖の塩焼きはたいそう美味しそうに見えた。身の先を軽くほぐすといい感じに焼けている、ようだった。その場ですぐに食したい衝動を抑え、まるごとお米の上に乗せ、職場に向かった。
 午前中は鯖を食べることを心待ちにしながら過ごしていたとしか言いようがない。弁当の良いところは、自分の好きなごはんを食べられる点だ。
 待ちに待った昼食で食べた鯖は、想像を遙かに超えて美味しかった。鯖の身が引き締まっていて、そして焼き加減がちょうどよかった。缶詰以外で食べた久しぶりのまともな魚はささやかな喜びをもたらして、そして新しくグリルを使うという挑戦が成功に終わったことに対して心の中でガッツポーズだった。

 小さく新しい挑戦を、少しずつしていく、というのがここ最近の一つの個人テーマだ。
 何か大きな挑戦をしたいわけでも、大きな夢や目標を抱いているわけでもない。そもそも大きいプロジェクトを掲げられるほどの気力は無い。
 料理はまさにそれにあたる。何か、というと、一週間のうち、一回は、何か新しいものを作ってみる、ということだ。今回でいえば、鯖の塩焼きも該当する。ついでにいうと、今夜は帰り際に卵料理を食べたくて偶然見たクックパッドのお知らせに出てきたふわふわ玉子丼を作った。鯖の塩焼きも玉子丼も、料理を作る人からしてみれば、料理を普段やってなくてもそれなりに上手にできる簡単料理にあたると思う。そういうものも、一人暮らしを始めてからは作ったことがなかった。作ったことがないものを、一歩踏み出して、作ったことがあるものにすると、そのハードルは途端に下がる。怖じ気付くほどのものではなかったと。美味しいものができれば、また作りたくなる。そうして引き出しは増えていく。その増えていくものは本当にささやかなものばかりだ。面倒臭くなってしまうちょっと凝った料理には手を出していない。しいていうなら少し前に毎週作ってたハンバーグくらいだ。でも、簡単なものでいい。簡単なものでも、作ったことが無いものは、未知であることには変わりがない。そして新しいものに手を出していき、簡単なものを積み上げていくと、あれもできそう、これもできそう、と広がっていく。炊き込みごはん、しいたけとチーズの肉巻き、キャベツの卵とじ、ペペロンチーノ、などなど、この秋だけでも、少しずつ引き出しは増えている。一度しかまだ作っていないものも、何度も作っているものもある。それでもいい。失敗もある。目分量でやってしまうがゆえに味付けがうまくいかなくて塩辛いものだらけになったことも何度もある。それでもいい。やってみなければわからないことが、たくさんある。やってみたら簡単だったけど、やってみる前まではものすごく難しいもののように思えたものもある。それはすべて、挑戦して得た理解だ。
 広い台所の部屋に引っ越してきたのは正解だと思う。料理が以前よりも楽しくなった。
 弁当を毎日作ってくると、職場で良く「すごいね」とか「女子力が高い」と言われる。私の弁当は(今日の鯖は例外だが)作り置きのおかずと冷凍ごはんで成り立っているから朝にかける時間など五分にも満たないレベルなので恐縮しきりである。毎日続けられていることには自分でも感心するけど、弁当だって、やり始める前は考えもしなかった。作り置きという概念を知り、いかに苦手な朝の時間で短時間で作られるかを考えて、無理のないようにやっていたら、なんとなくできるようになった。だから決して女子力が高い、とかでは無いんだよな、とは思う(女子力という表面的な単語は簡単に使える便利な言葉ではあるが褒めてるのか揶揄してるのか分かりづらい上にそもそも「女子力」の意味する女子って何?と考えるほどモヤモヤして年々苦手になっていく)。生活を大切にしたい、とか、好きなものを食べたい、とか、ほどよく節約したい、とか、論点は価値観に至る気がする。お子さんがいれば、その弁当を作るついでに、とかになり得るだろうけど。何を重視するか、何を大切にするか、何を好むか、といった、価値観。休日に簡単なネイルをするだけの、あれもそうだ。大切にしたいものを、大切にしていたい。頭に浮かぶ物語や言葉を掴みたい。生活を整える力をつけていきたい。小さな挑戦を続けているうちに身につけていくものは、きっと自分を形作る力になる。その力は、困難が打ち付けてくる中で、流れて崩れてしまわぬように、きちんと立っていられる力になり得ると思う。たとえ、そのひとつひとつが小さくとも。
 勿論、そんなたいそうなことを常日頃考えているわけではない。ただただ、私は、繰り返しになるけど、大切なものを、大切にしていたい。声高々に言うほどのことでもない小さな挑戦で世界が僅かに広がる喜びを味わいたい。積み重ねる毎日に一種の愛情を与えたい。
 もう一つ最近まじめに始めたのが手帳を使った記録で、あまりできていなかったバレットジャーナルをきちんとやるようになり、そこで簡単な日記もつけたりなどしており、それがまたささやかな楽しみを生んでいるのだけれど、また今度の機会にする。
 今日も生きている。明日も生きていこう。

「私たちは英雄にならなくても、ほんの少しの勇気で、誰かを救うことができる。大きな流れに、静かに抵抗することができる。(やがて満ちてくる光の/梨木香歩より)」