0722「万引き家族を観て得も言われぬ喪失感を味わった話」

 ネタバレは控えての感想です。

 万引き家族を観た。
 かねてから観たかったのだけれどなかなか足が向かず、そうだ行こうと思い立って、午前中の用事を済ませたあとそのまま映画館へ。上映が始まってから一ヶ月以上は経っていると思うけれど、席は殆ど満席状態で驚き。
 家族ものには弱い。
 不安定な幸せと、それが崩れていく様に弱い。
 こんな趣味でやっているご身分、偉そうなことは言えないけれど、幸せを描くことは割と簡単だと思っていて、でもその幸せがなんというか、こみ上げるようなやわらかな幸せ、家族の形だった。「お金」と割り切れないあいじょうだとかきずなだとか、彼等は血の繋がりは無くとも、彼等の間を繋いでいるのが犯罪であっても、彼等は確かに家族だった。
 ばらばらになることは、目に見えていた。いくら幸福であっても、彼等がしていることが犯罪である以上、いつか必ずボロが出て、崩壊していくことなど、目に見えていた。でも途中からは切実に祈っていた。崩れなければいいのに、と。
 生活に疑問視し始めるあたりがまた泣けてくる。
 映画というのは、というより物語というのは、誰かと誰かの人生の動きのほんの一幕を描くに過ぎない。時代を切り取っているに過ぎない。何が言いたいかというと、物語には必ず終わりがやってくる、しかし中の登場人物の人生がその時点で「はい終わり」となるわけではなく、星が爆破でもしてすべてが無に帰す終末を迎えない限りは、登場人物のこれからは続いていくのだ。万引き家族の終わりは、終わりではなかった。いや、この「万引き家族」という作品としては確かに完結したのだけれど、それぞれの人生の今後があまりにも気になってしまう、そんな終わり方をしていた。彼等は幸せを知ってしまった。それが現実逃避した形であっても。それぞれのこれからはどうなっていくのだろう? 想像力を膨らませられる。いい意味でのもやもやを残して、静かなエンディングが流れ、胸がからっぽのままエンドロールを眺める。
 涙もろくなっている最近だけれど、それはもう何度も号泣してしまいまして、明らかな泣くポイントがあったかというとそうではないのに、あれだけ泣いたのは、作品全体の雰囲気や流れ、没入感に心がうわんうわんと響いてしまったからだ。どこか懐かしいごちゃごちゃとした風景。狭い部屋に縮こまるようにして身を寄せて生きるかぞく。抑え込んでいる感情や目をそらしていた現実が浮かび上がりかぞくの形が変容していく構成。登場人物達の思い。胸を揺さぶって、響いて、離さなかった。気付けば作品の泥沼の中に沈み込んで抜け出せなくなっていた。
 手を叩いて最高でしたと叫ぶような作品ではないと個人的には思う。私の中に残ったのは大きな喪失感だ。それは私にとっての拍手喝采の形の一つだと思って欲しい。
 もう一度、スクリーンで観たい作品になりました。
 あまりにも呆然としすぎてパンフレットを買うの忘れてしまったのが悔やまれるので(売り切れてるかどうかは知らない)、それを買いに行くついでとしても。
 ああ。
 思い返してもあの作品についてどう形容したらいいのかわからない。
 静かな幸福。
 静かな崩壊。
 ああ、好きでした。
 まさしく「そして父になる」を作った監督の作品でした(「そして父になる」しか多分観たことがない……すいません……)。
 あとなんといってもメインキャストの家族一人一人がほんとうに素晴らしい……子役も本当に素晴らしい演技だったので……曲もシンプルながらとても良かったので……是非観てください……夏は多くの話題作が出てきますが、今日の人の雰囲気を観ていると恐らく各所でまだやっているだろうと踏んでいるので万引き家族、何卒よろしくお願いします……そしてお口に合えば私と意気投合してやってください……。

0721「どう足掻いても眠い」

 座った途端にすぐに眠くなってしまうのを本当にどうにかしなきゃと思うのだけれど、悪い癖になっているのか、全然直らなくて、あかんなあという。
 基本的にずっと立ち仕事でばたばたとしているし仕事中に寝るということはまあ無いのだけれど、仕事後にある勉強会の類を連続で睡眠時間にしてしまっていてぐおお……明日もあるんですけど……どうやったら寝ずに済むんだ……教えてくれ……。夜は寝ているはずなのだけれど(でも昨日は確かに無駄に遅かった)。
 今週は随分と長く感じたような、でもいつの間にか、本当にいつの間にか七月もまた後半へと入っていき、八月がやってくる。暑さが完全に夏真っ盛りのそれだから感覚が狂ってしまう。
 仕事場と家の道に田圃があるのだけれど、ぐんぐんと伸びて、鮮やかな緑でしっかりと立っている。小さい子がおたまじゃくしをとろうとしているのか、大人と一緒にバケツと虫取り網のようなものを持って田圃の脇に立っていた夕方。
 昔、おたまじゃくしをとろうとして近所の田圃に入って、無事数匹とれたのだけれど、バケツの中であっという間に死んでしまって、母親にはヒルにやられたんじゃないのと言われ。ヒルって何と尋ねて血を吸うんだよって。あの土塊の中に紛れ込んでしまったかもしれないヒルについて、やたらと恐ろしく感じて、バケツの中に手も突っ込めず流した思い出。今思うと、果たしてヒルだったのか、疑問もあるけれど。
 あの田圃は、埋め立てられて今は家が建っている。
 地元の田圃はどんどん潰れていっている。子供の頃から景色は変わった。きっとあちらも恐ろしく暑いだろう。
 夏はノスタルジー

0716「茹だるって」

「茹でる」と同じ漢字だというのをふと実感。
 茹だるような夏。茹だるような気温。うん、まさしく、この四十度近い温度に晒されると、気分は茹で蛸。私たちは空気と太陽に茹でられている。
 これまで再三言っている話題ではあるのだけれど、暑い季節になってくると「噎せ返るような畳の部屋でカップラーメンを啜る汗だくのBL」を堪能したくなる西壁を持ち合わせているんですが、こうも暑いと普通に「コンビニでアイスを買って二人で食べてるBL」とかいう青い春のスタンダードを堪能したくなります。でもいつでも「噎せ返るような畳の部屋でカップラーメンを啜る汗だくのBL」は読みたがっているのでご応募お待ちしています。
 汗が凄く好きなんだよな。
 なんの話だよという感じなんだけれども。
 汗が好きなのだ。
 においに関しては好きなにおい・苦手なにおいがあるんだけど、したたる汗とか、つぶつぶ吹き出る汗とか、目に落ちてきて沁みる汗とか、拭う姿とか、良い。好き。だからもうなんていうか、そういうBLをおなかいっぱい食べたいんだよ。汗臭いべたべたむんむんしたものが欲しいよ~。昨日祇園で久々に腐トークしたこともあるし祇園の浴衣姿にあてられて脳内で繰り広げられた推しの祭り妄想・浴衣妄想の延長戦でまた例によって浴衣は着せるのも着て歩くのも脱がせるのもすべて風物詩になるから素晴らしいよなあうんうんと考えていたんだけどいつも通りのワンパターンぶりでもいつも楽しめるから本当に自分は単純である。形になって自分の目の前に現れないかな……。
 うぎーーーーーーーーーーーーーーーーー。
 暑くなると思考回路が混濁してBLを読みたくなる!※暑くなくても読みたい
 そんな海の日。
 海にも行って欲しいけどうちの最推しカプの片方は水関連がまったくだめなので(それはそれで面白いんだけど)やっぱり畳の部屋でカップラーメンを……。
 まあ私は一日中クーラーのきいた部屋に引きこもって炎天下とも海とも無縁の世界で打鍵をしていたわけですが。
 以上!

0715「イベント事ばかり詰め込まれた一日だったのだけれど」

 朝から昼にかけて紙博。夜は祇園祭。どうも。体力は尽きた。
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 紙博というのはその名の通り紙関連のイベントで、様々な紙製品文具等々出品されていて、京都のみやこめっせでこの土日で行われていた。ここ最近はこれを楽しみに仕事に打ち込んでいた点は大いにあるのだけれど、まずこの切符風の入場券があまりに可愛すぎるというね……退場するときに、昔懐かし切符を切るあの鋏でぱちんと切って出たのでした。あれ、実際は入場するときに使う物だったような気がするけど(地元より)細かいことは本当にどうでもいいと言わざるを得ない可愛さ。
 中は想像を遙かに超えて大盛況。人、人、人……。もっとゆっくり見られるかと思っていたのだけれど、どこのブースも人だらけでやや目が回りながらそれでもまあゆっくりとは時間を過ごしました。二時間くらい滞在していたのかな。

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 戦利品はこんな感じ。
 特に気に入っているのは星空のレターセット。

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 これが素晴らしい紙で、印刷のきらめきとか、質感がもう、最高なんだ……銀河鉄道の夜だ……。写真できちんと伝わらないのが辛い。素晴らしい出来です。ポストカードもあったのだけれど、便箋の方が紙の感じが好きだったし春夏秋冬セットで(これ一枚ずつ紙やインクもそうだけれど四季で星座も違っていて、私の好みドストライクでたまらない一品)一応便箋ではあるのですが、便箋としては使わずに、飾るか手帳の表紙に使うかなどしようかと。うーん可愛い。良い出会いをした。
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 夜は祇園祭。こちらもすごい人で。元々行く予定は無かったのだけれど、昨日の夜に誘われ急遽出ることに。とにもかくにも猛暑が厳しすぎるので少し遅めの時間に行ったのだけれど、それでもすごい人だかり。とはいえ想像よりは軽かったか。鉾を観たり、屋台で生ビール買って飲み歩きしたり、焼きそばやお好み焼きやポテトなどなど買って食べたり、生姜のひやしあめかき氷を食べたり(これがまたたまらなく美味しかった)、あとは祇園囃子をBGMに、夜に浮かぶ提灯と、それから人混みの中、ひたすらだべり続け歩き続け、本当に久しぶりに夏祭りを味わったような一晩だった。夏ですね。夏は良いな。暑いのは辛いけど。熱中症にはならなかった。

 それから祇園祭に行く前にその一緒に行った奴とカラオケに行ったのだけれど、なんというか推しカプのイメソンと自作のイメソンをぶつけあうなんとも面白い内容だった。
 私いくら仲が良くてもリアルには絶対に創作関連のカミングアウトをしたくないと思っていた派だったのだけれど、ひょんなことからその人にだけは割と最近ばらしまして(というのも相手も小説を書いているというカミングアウトがあったことが大きいのだけれど)、だからこれがイメソンあれもテーマとかそういうのを話しながら歌っていて、ヒトカラ以外でがっつり自作関連曲()を歌ったのは初めてだったので(相手にはしろ闇だのは読ませていないので完全なる押しつけ)、なんというか面白かったな……。
 メインジャンルこそ違うけれど、外れていった道までこうも同じだと凄い。
 静寂本も見せたりして(リアルで見せびらかすのがネッ友さんじゃなくてリア友が初めてなのって本当に私にとって衝撃)、いろいろと満たされた一日でした。

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 あとさりげなく色マイナンゲットしました。色プラスルとか色ロゼリアにも会いたいけどどうかな……。
 明日も休み。連休でないとこんな風に一日ぶっ続けで遊べなくなった。二連休のありがたみを噛みしめながら、明日は書くぞー。

 

0710「静寂の声」

うわああああああああああアアアアアア!!!!!!!!!!

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胸がいっぱいだ。

生きていて良かったなあなんて思った。作り続けていて、なにかを形にする、そんな趣味を持っていて良かった、自分で自由に本だって作ることができる。

これを幸せと言わずして、なんという?

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実は表紙でミスをして背表紙が裏表紙部分に印刷されるという衝撃があったけど、いかにも初心者らしいというか、これもまあ、これでいいか、というか。そんなべらぼうに高いことはないので、その気になれば作り直すこともできるけれど。

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最後のページには、マサポケでいただいた、サンさんの絵。

いつ見てもそのあたたかさに涙が出そうになるし、これを描いてくださったサンさんには感謝の念が尽きない。この冊子はあくまで私個人が思い出として形にした品だけれど、だからこそこの絵は載せておきたかった。ワンブックスはモノクロもカラーも値段が同じなこともあり、こんな型破りな文庫本を作ることだってできる。同人活動、つよい。

綺麗に印刷していただいて、嬉しい。

動画も撮ってみたりしたのだけれど、ブログに動画は載せられないようだ。ちょっと残念。

はー、胸がいっぱいだ。興奮が止まらない。嬉しい。創作最高だ。

 

0701「加筆修正してて思った滅茶苦茶しょうもないことなんですけど」

 静寂を一旦やりきったのでしろ闇に集中できるぜ! と思って未だに加筆修正が終わってないウォルタ編をどかどかどかと土足で踏み荒らすが如く進めてまあそれでも終わらなかったんですけど(ひどい)(でもめっちゃ頑張ったんだよ)(途中からななにーを観ながら)(今も観ています)(画面見過ぎて目が辛い)。
 で、加筆というか結構ごりごりと削っているんですね。それで一話三千字以下とかになるわけですよ。たとえ少なくても一話五千字は作ってきて下手すれば二万字近くなったりする自分としてはなんかもうそわそわするわけですよ。長いのがいいとも短いのがいいとも言いませんが妙なので短い二話ひっつけちゃったりしたくなるんですけど、そうすると話数がずれて最新話が百話じゃなくなるんですよね。調整すればどうにでもなるだろうけどでも狙って百話に収めたのにそれがずれるのが嫌じゃないですか。嫌じゃないですか! そういうわけでその話をくっつけたい欲を押さえ込んでずばずばずばと削って足して。ウォルタだからなのか知らんけど時間がかかりますね……やっていて思うのだけれど字数は全然たいしたことないというのに……本来6月中に終わらせる目標だったんですがおかしいな……? でも確実に一歩一歩進んでいるよ。

6月の読書記録・映画記録

読書記録

・浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 石井光太
・不安な童話 恩田陸
・箇条書き手帳でうまくいく Marie

映画記録

なし……。。


 最早映画をやる必要があるのか……??
 観たい気持ちはあるけれどなかなか2時間など長い時間をかけてよし観ましょうという気持ちにならなくて、ううん。でも観なかったことも記録といえば記録とすればそう。今上映している作品としては万引き家族が気になるし観たいのだけれど、いつ観に行こう……つい創作の方を優先させてしまう。
 同じく創作優先のせいか仕事でへとへとになっている日々なせいか、読書も結局殆どできなかったのがもどかしい。積み本を完全消化するのが目標だったんですが、結局叶わず。
 あれだけ積み本積み本と言っておきながらなんですが、なかなかがっつりと読めなかった6月、改めて考えて、積み本のことは一度置いておくことにしました。今読みたい本を優先させることにして、その合間に気分が乗ったら積み本を進める、と。ままならず焦ったり疲弊したりする日々の中で、溜まっているものを消していく感覚は心地よいものではあるのだけれど、読まなきゃ読まなきゃという意識が先行して少々しんどさもあって、その自分の感情に気付いた時に無理に積み本消化をする必要は無いなと。そういうわけで久しぶりに新しく本を買ったりした6月でした。7月はどうなるかなー。
 6月の本については、でもどれも面白かったです。恩田陸は安パイ。
「浮浪児」は戦後日本、戦争で親を失ったり家出をして路上で暮らすようになったこどもたちに焦点をあて、その時代をそうして生きた人たちに取材を重ねて作り上げた濃密なノンフィクション。作者である石井光太は国内外の貧困・難民の情勢についても多くの書き上げているジャーナリストなのだけれど、自作まっしろな闇の参考資料という意図と単純に私がそのあたりの分野に興味があるという理由で今までも著作を何冊か読んだことがあり、今回のこの一冊もその気持ちで手に取ったもの。
 この石井光太の良さというのは、こういった貧困等々重いテーマについて、単純に重く描くのではなく、どことなく希望を漂わせているだと思っている。勿論、赤裸々に苦しみを描くけれど、その苦しみの中で生きている人々について描く文章は、まさに生そのものといいますか、血が通い肉があり、感情があり、その場所で生活をしている、その姿を丁寧に書く。絶対的な悲劇として書くのではない。淡々と事実を述べながら、その場や時代の空気を伝える。
 時代というのは過去の積み重ねで、今はその一番先に立っている。
 私たちは溢れかえるような豊かさの中にいて、それは戦後の絶対的に物資が足りなかった頃と比較すれば天と地ほどの差があるはずで、それなのに生きづらい時代だなと思う。それは単純に比較するべきものではない。

「今の世の中はあまりに物に恵まれ過ぎていて、生きることの意味や尊さが見えづらくなっている。だからこそ、大勢の人々が霧の中を迷走するように生きる目的を見失ってしまっている。」
「一つ忘れてはならないのは、豊かになった日本にも、形こそ違えど困難が数え切れないぐらいあるということだ。家庭にも、社会にも、世界にも高い壁が無数に立ちはだかっていて、私たちは生きている限り、それらを乗り越えていかなければならないが、場合によっては絶望や挫折を感じることもあるだろう。
 私は思う。そんなと時にこそ、浮浪児たちの力強さを思い起こしてみるのも一つではなないか、と。」

 作者の言葉を抜粋。
 この本で描かれている浮浪児たちの生活は困難を極め、時に犯罪に手を染め善悪の判断もつけなくなりながら、共通して「がむしゃらに生きている」のだった。その行く末は人による。しかしどの人も、あの時代について他人に話すことはしない、と言う。あの時代は、あの時代を経験した人にしか理解ができない、と。
 そうした時代について、人づてにこうして本を通じて読むことができたのは、もしかしたら貴重な経験であるような気がしてならない。
 重いテーマである分、読むのには時間を要した。けれど夢中になって読み進めた。特に終盤、希望が見えてきたあたりから。
 人間は力強い。
 きっとそれは私たちが考えている以上にそう。

「子供は家族から愛されたり、周りの人にめぐまれたりすることによって初めてしっかりとした自我が生まれるものだ。人を愛し、自分を制御し、生きると言うことに向かって歩んでいける。」

 この言葉が印象的なのだけれど、その前にもう一つ印象的な部分として、
 作中の元浮浪児の一人が、戦後の時と今とを比べて日本は何を失ったと思うかという質問を作者から投げかけられ、
「日本がうしなったものは、たくさんあるね。ありすぎて答えられない」
 と、しばらくしてから答えた。あえて一つあげるとすれば、と更に質問を重ねられ、しばし口を閉じてから、
「そうだな……人間らしさ、かな……人がちゃんと人とつながっているということだよ」
 と述べた。
 締め付けられるような気持ちになる。
 私たちは今、形の違う困難の渦中にあって、(個人的には)大きな希望を持てぬまま日々を淡々と生きている。
 そんな中で前を向いていくには、がむしゃらに生きるというのは一体どういうことなのか、消えゆく過去をないがしろにしてはいないだろうか、まだ自分が生きていない時代について見つめたときに、この生きづらさについてヒントをもらえるような気がした。
 勿論、自作を作っていくうえでのヒントにもなったと思うし、この人の本はもっと読みたいと改めて思った一冊でした。
 石井光太の熱心で綿密な取材、資料収集、それらを描ききる筆力。熱意の塊だと思う。生死の狭間を藻掻く壮絶な時代にあり、普通なら口を閉ざしていただろう人々がこの人に話をしたのは、真摯な姿勢にも理由があったのだろう。脱帽。埋もれた歴史に光をあててここまで濃厚に仕上げるとは。すごい本だった。テーマがテーマなだけに読んでいて辛くもなりますが、先に述べたように希望の漂う一冊でもあります。興味があればどうぞ。

 手帳本に関してはこの本を読んで界隈では流行りのバレットジャーナル実践しており、今のところ続いているのだけれどこのまま軌道に乗れたらどこかで記事にするかもしれない。