1025「小さな新しい挑戦をしていくこと」

 今日のお弁当。

 

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 鯖の切り身が98円で売られていたので、買ってみた。写真で改めて見ると、笑えるほどに鯖の存在感には迫力がある。
 ところで、現在住んでいる住居の台所には魚を焼けるグリルが備え付けられている。これは思わぬ収穫だった。というのも、引越先の条件の一つに二口コンロはあったのだけれど、グリルという希望は微塵も考えていなかった。今の住居は個人的には一人で暮らすのにちょうどよく心地よく過ごせる十分なゆとりを持っている。そして台所が広い。以前住んでいたマンションはとにもかくにも台所が狭く、さほど料理が得意でもない人間にはそれなりに大変な空間だった。それが今となってはコンロ二口な上に何故かグリルまでついてきたのだ。しかし、故郷は沿岸部、現在は内陸部、魚に関してはとりわけおいしさへの不信感が強く、スーパーの鮮魚コーナーは大抵横目でスルーしている。だがしかし、だ。それでも魚は食べたくなる。往々にして魚は高いので、こうして安売りされているものくらいにしか手を出さないけれど、そうして選ばれた鯖を、引っ越して初めてそのグリルで焼いたのだった。それはそれなりにこれで大丈夫なのかと不安になりながら過ごす朝だった。肉もそうだけど、とりわけ弁当に入れる肉・魚で生はきつい。きちんと火が通って欲しいものの、うっかりしたら焦げる。グリルの加減が正直よくわからない。様子を何度も確認しては弱火で地道に焼く。タイマーも無く、その場の己を信じてただただ美味しい鯖を食べることを目指して。そして出来た鯖の塩焼きはたいそう美味しそうに見えた。身の先を軽くほぐすといい感じに焼けている、ようだった。その場ですぐに食したい衝動を抑え、まるごとお米の上に乗せ、職場に向かった。
 午前中は鯖を食べることを心待ちにしながら過ごしていたとしか言いようがない。弁当の良いところは、自分の好きなごはんを食べられる点だ。
 待ちに待った昼食で食べた鯖は、想像を遙かに超えて美味しかった。鯖の身が引き締まっていて、そして焼き加減がちょうどよかった。缶詰以外で食べた久しぶりのまともな魚はささやかな喜びをもたらして、そして新しくグリルを使うという挑戦が成功に終わったことに対して心の中でガッツポーズだった。

 小さく新しい挑戦を、少しずつしていく、というのがここ最近の一つの個人テーマだ。
 何か大きな挑戦をしたいわけでも、大きな夢や目標を抱いているわけでもない。そもそも大きいプロジェクトを掲げられるほどの気力は無い。
 料理はまさにそれにあたる。何か、というと、一週間のうち、一回は、何か新しいものを作ってみる、ということだ。今回でいえば、鯖の塩焼きも該当する。ついでにいうと、今夜は帰り際に卵料理を食べたくて偶然見たクックパッドのお知らせに出てきたふわふわ玉子丼を作った。鯖の塩焼きも玉子丼も、料理を作る人からしてみれば、料理を普段やってなくてもそれなりに上手にできる簡単料理にあたると思う。そういうものも、一人暮らしを始めてからは作ったことがなかった。作ったことがないものを、一歩踏み出して、作ったことがあるものにすると、そのハードルは途端に下がる。怖じ気付くほどのものではなかったと。美味しいものができれば、また作りたくなる。そうして引き出しは増えていく。その増えていくものは本当にささやかなものばかりだ。面倒臭くなってしまうちょっと凝った料理には手を出していない。しいていうなら少し前に毎週作ってたハンバーグくらいだ。でも、簡単なものでいい。簡単なものでも、作ったことが無いものは、未知であることには変わりがない。そして新しいものに手を出していき、簡単なものを積み上げていくと、あれもできそう、これもできそう、と広がっていく。炊き込みごはん、しいたけとチーズの肉巻き、キャベツの卵とじ、ペペロンチーノ、などなど、この秋だけでも、少しずつ引き出しは増えている。一度しかまだ作っていないものも、何度も作っているものもある。それでもいい。失敗もある。目分量でやってしまうがゆえに味付けがうまくいかなくて塩辛いものだらけになったことも何度もある。それでもいい。やってみなければわからないことが、たくさんある。やってみたら簡単だったけど、やってみる前まではものすごく難しいもののように思えたものもある。それはすべて、挑戦して得た理解だ。
 広い台所の部屋に引っ越してきたのは正解だと思う。料理が以前よりも楽しくなった。
 弁当を毎日作ってくると、職場で良く「すごいね」とか「女子力が高い」と言われる。私の弁当は(今日の鯖は例外だが)作り置きのおかずと冷凍ごはんで成り立っているから朝にかける時間など五分にも満たないレベルなので恐縮しきりである。毎日続けられていることには自分でも感心するけど、弁当だって、やり始める前は考えもしなかった。作り置きという概念を知り、いかに苦手な朝の時間で短時間で作られるかを考えて、無理のないようにやっていたら、なんとなくできるようになった。だから決して女子力が高い、とかでは無いんだよな、とは思う(女子力という表面的な単語は簡単に使える便利な言葉ではあるが褒めてるのか揶揄してるのか分かりづらい上にそもそも「女子力」の意味する女子って何?と考えるほどモヤモヤして年々苦手になっていく)。生活を大切にしたい、とか、好きなものを食べたい、とか、ほどよく節約したい、とか、論点は価値観に至る気がする。お子さんがいれば、その弁当を作るついでに、とかになり得るだろうけど。何を重視するか、何を大切にするか、何を好むか、といった、価値観。休日に簡単なネイルをするだけの、あれもそうだ。大切にしたいものを、大切にしていたい。頭に浮かぶ物語や言葉を掴みたい。生活を整える力をつけていきたい。小さな挑戦を続けているうちに身につけていくものは、きっと自分を形作る力になる。その力は、困難が打ち付けてくる中で、流れて崩れてしまわぬように、きちんと立っていられる力になり得ると思う。たとえ、そのひとつひとつが小さくとも。
 勿論、そんなたいそうなことを常日頃考えているわけではない。ただただ、私は、繰り返しになるけど、大切なものを、大切にしていたい。声高々に言うほどのことでもない小さな挑戦で世界が僅かに広がる喜びを味わいたい。積み重ねる毎日に一種の愛情を与えたい。
 もう一つ最近まじめに始めたのが手帳を使った記録で、あまりできていなかったバレットジャーナルをきちんとやるようになり、そこで簡単な日記もつけたりなどしており、それがまたささやかな楽しみを生んでいるのだけれど、また今度の機会にする。
 今日も生きている。明日も生きていこう。

「私たちは英雄にならなくても、ほんの少しの勇気で、誰かを救うことができる。大きな流れに、静かに抵抗することができる。(やがて満ちてくる光の/梨木香歩より)」

1013「いたわること/十二国記」

 大型台風が通過していきました。
 私の地域はただの強い雨風が吹き荒れるばかりで特に被害はありませんでしたが、夜が明けた各地の水害状況を映像で目の当たりにして、胸が痛むあまりすぐに消してしまいました。申し訳ない。
 時期的にもうこれが今季の台風の最後かなと思うのですが(思いたい、という願望)、毎年どこかしらで目を疑うような水害が発生して、この国はどこまで災害大国なのだろう、たちうちしようのない強大なある種の暴力に対して、自分の身を守ることしかできない現実、壊れる時にはあっというまに壊れるあっけなさに立ち尽くすしかできない。
 怖い思いをされた方々、今もされている方々、被害に遭われた方々に、少しでも早く穏やかな時間が訪れることを、祈るばかり。


 話が変わり、自分の話になり恐縮ですが。
 ストレスが溜まっているのか、疲れているのか、わかりませんが、大きな音、やかましい機械音というものに耐えられなくなっています。それから、イヤホンのような、鼓膜を至近距離から直接打つような音。
 洗濯機や掃除機の音、近くの道路を通る車やバイクのエンジン音など、耳に入るたびにざらりと不快感が走っていきます。
 今住んでいる場所は住宅街の中なので、基本的に前引越前より幾分静かな場所で過ごしやすいのですが、それでも車は通るし、生活をしていれば洗濯機の音からは逃れられない。当然人混みの中などもってのほかで、これまで休日になると当たり前のように外に出て、買い物までせずとも、喫茶店やらなんやらで本を読んだり作業をしたりしていたのですが、そういう場所での人の目や聞こえる会話やBGMも想像するだけでなんだか辛くなってしまって、どうにも行けなくなってしまいました。
 仕事では謎のスイッチが入るので特に気にならないのですが、仕事以外になると、途端にひよわになってしまう。些細なことで苛立ちを感じてしまってしまう。そして、優しくできなくなっていく。
 そんな状態なので自然と家にいることが多くなり、できるだけ自分をいたわること、生活を大切にするということに重きを置いて生活をしています。
 去年、養生旅行と称して箱根の温泉宿に一人旅をしに行ったことがあって、そういう旅行もいいなと思うし何度か「今度の休みこそは海を見に行こう」と決意したのですが、あんな贅沢はそう易々とできるものではないし、電車が今は負担だし、頑張って遠出をせずとも自分の身の回りだけで養生できるようになったらそれが一番良い。
 養生といっても大したことはしていなくて、ただ、生活を大切にする、そこに注力する。
 部屋をきれいにすること。水回りを掃除すること。料理をすること。作ったことのない料理をしてみること。掃除機は昼間にかけること(夜よりも昼間の方が音が響かないような気がするから)。洗濯機は料理などの作業と並行して行うか、リラックスできるお風呂に入りながらやりすごすこと。本を読むこと。お茶を淹れること。
 そして、生活音に耳を傾けること。
 包丁でものを切る時の音が好きです。蛇口から出る水の音が好きです。皿やコップをテーブルに置く時の音が好きです。雨の音が、台風直後なので少し言いづらいですが、好きです。秋の虫の声が好きです。キーボードを叩く音が好きです。ページを捲る音が好きです。音楽も、最近はようやくまた少しずつ聴けるようになってきて、大体ピアノ音楽や癒やし系の動画を流し続けたりしています。ただ、最初に言ったようにイヤホンで聴くのは音が近すぎるのと耳に異物が詰まってる感じが少し邪魔なので、iPhoneのスピーカーモードで聴いたり、iPhoneに入ってない曲はPCから流したりしています。Bluetoothのスピーカーを買おうかなとも考えるんですが、最近ウォークマンが壊れてしまったので(そして放置している)増税前でもその一歩が出ませんでした。
 要は、周りの小さな生活音に耳を傾けるようにして、そうするだけでなんとなく、ちょっとした幸せを感じられるような気がして。
 それから、ちょっと前から休日は簡単に手の爪にマニキュアを塗って過ごすようになりました。
 職業柄、マニキュアは勿論爪を伸ばすのも完全NGなため、たいてい1日休んだら次の日また仕事なので1日限りのちょっとしたおしゃれなのですが(爪が傷みそうだなとはちょっと思っている)、これがなんだか気に入っています。急な話になりますが、手が好きです。手フェチです。世の中いろんな手がありますが、その中でも実は自分の手はとても好きな部類に入ります。自分の身体のあらゆるパーツの中で、唯一好きと言える部分です。そんな好きな手をちょっとしたことで飾る、好きな色で飾る。色も好きです。色が好き、というと何が?という感じがしますね。様々な色彩が好きで、ちょっとした色を爪に塗って、ちょっとだけ光る、ささいな変化、彩りが加えられる、指先に違う魂が宿ったようで、手が可愛くなる、それが好きです。ちょっと気持ち悪いなとも思うんですが、自分の身体をそうして好きでいられる、それも手という頻繁に目に入るものであること、色を加えることでなんとなくいつもより綺麗に見えること、小さな工夫で幸福を覚えるなら、気持ち悪かろうとなんだろうと良いことじゃないか。ちなみに前述したように家事をわりときちんとやろうと心がけているので、つまり休日の料理なんかもマニキュアをした手でやっていて、これは完全に賛否両論があるだろうし私もこれに関しては抵抗が無いわけではないのですが、他人に食べさせるわけでもなく自分の身に入っていくわけだし、全て手袋をして料理をするのも嫌だし、落としていません。簡単に調べると手袋するに超したことはないなとは思いますが、料理を手袋ですることの方が抵抗を覚えてしまう。
 音の話だの、爪の話だの、まとまりが無いように思われるかもしれませんが、一貫しているのは、自分の好きなものに意識を向けること、生活と心を整えるということ。
 ちょっと前に、気の許せる友人とたっぷり笑って美味しい食事とお酒を飲み交わしたら、なんとなく発散できるような感じがして、一昨日実は久しぶりにカラオケに行きましたが、随分と疲れてしまって、まだ難しいな、と。
 デスク用の椅子をようやく買って、今日届いて、安かったのにかわいくて座り心地も悪くはなく、今のところ気に入っています。本もそうですが、アマゾンレビューは頼りになる……。そうして生活空間を整えていって、いたわりながら生活しようと思います。好きなものを大事にしながら。その感性を撫でながら。

 今日のおとも。
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 外のパッケージを開けただけで蜂蜜の香りがしました。強烈。
 ちょっと思ったより香りや甘みが今の身には強すぎたかな……と思わなくもないですが、蜂蜜自体は好きなので、美味しいです。

 台風やらの自然災害は巨大な暴力ですが、人間、生きているだけでも些細な暴力に見舞われがちですし、たいしたことないことで苛々したり、嫌いになったり、嫌な思いをしがち。嫌いという感情は自分にとってこれは嫌なものなんだという物差しになって自分を理解・守ることに繋がるので一概にだめではありませんが、最近嫌いという基準値がどんどんゆるくなっているような気がして、それが他人にしても簡単に可視化されてしまって、とても見てられなくなる。優しくなりたい。まずは自分に優しくしてあげよう、な今日この頃。
 たとえば好きな本を読んだりね。
 そう、たとえば昨日発売になった十二国記を読んだりね。
 ね。
 はい。
 新刊読みました?
 私は読みましたよ。二巻まで、きっちり。
 ねー。
 ねー……。

 ↓どうしても言いたいことについて超絶ネタバレにつき白字反転で読めます。


 本当に死ぬとは思わないじゃないですか。
 驍宗様……あまりのことで俄には信じがたいんですが……一巻で短刀を研ぐ少年と一緒にいたおじさま、流れからして驍宗様だという予感はしていたんですが、だからこそ途中で死んだ描写の時に「えっ」となってそこで「ならばこれは驍宗様ではないこれは幾度も書かれている困窮した民を書いた描写の一環だ」と思い込もうとしたんですが最後で、最後で……白い御髪に朱い眼で……もう勘弁してほしい……いや、彼が驍宗様であるとはまだ限らないんですが、そっくりさんで、影武者かもしれないんですが、語られる生きていた頃の姿や言葉が明らかに驍宗様でつらい。こんな末路なのが本当にきつい。はー、けっこう信じていたんだよなあ、驍宗様と泰麒の再会を……。

 とはいえ、白雉が末声を鳴いていないという事実がある。
 泰麒が別行動をした時と、驍宗様の死は同時期だという。泰麒にいかほど麒麟の力が実際のところあるのか、それとも描写通り本当に力は無いのかわからないところですが(私が単に疑ってるだけなのかもしれませんが、この実際のところ「わからない」という感覚を描くのが上手いなと読みながら痛いほど思う)、驍宗様が本当に死んでいて、阿選が天に選ばれ次の王となり、しかし白雉は落ちていない(一巻で泰麒が白圭宮を訪れた際に、白雉の具合を確認してまだ落ちていないという描写がある)。驍宗が一度王として君臨したのは間違いがない。そもそも、驍宗が死んだというのも、基本は不死身の王が死んだっていうのはなんか、引っかかるし……。もちろん首を落とせば王も死ぬのだけれど。王が王でなくなるのは、死、あるいは失道、そして自ら王を辞するか。ただ、王が死ねば白雉は鳴く。となれば驍宗は死んでいないとみえる。けれど、作中で驍宗は行方不明になり、驍宗と思わしき人物は既に亡くなっている。
 阿選が、本来は驍宗に対して謀反を起こすような人物ではなく、人柄からしてみてもとても国を放置するような人物ではない。しかし阿選は驍宗を殺そうとし(と語られている)、泰麒の角を折った。本当は、驍宗の良き好敵手であったというのに。勿論、驍宗が王になったことで、何を考えていたかは、わからないけれど……。単なる嫉妬やらで討つような人物のようには思えない。
 稚拙な頭では、驍宗がなんらかの理由で自ら王を降り、阿選は謀反か協力で驍宗を殺そうとし(しかし実際には殺さず、行方不明として姿をくらませ生かした)、どうであれ玉座空位となり、そして阿選が王として選ばれた……白雉が「王の死」によってのみ末声を鳴くのなら、こうなれば辻褄は合うように思うけれど、どうでしょう。ちょっと白雉の設定とかがうろ覚えなので微妙だけど。あるいは十一章で語られていたように、驍宗が王としての道を誤り、阿選はそれを正したという路線か、でもこれはミスリードな気がする……。驍宗の戴を治めた半年は果たして誤っているといえるほど間違っていたのか? 驍宗様贔屓目なこともあって、とてもそうとは……。ただ、泰麒が幼き頃、それこそ驍宗を王として選ぶ際にずっと感じていた、「この人は王ではない」という感覚についてもこうなってくると余計看過できないですし(驍宗に対する恐怖感も含めそれは王に対する畏怖であると描かれていたはずだけれど)(延王だって「この人は必ず国を滅ぼす」と解っていて選ばれたという描写があるし)、その王ではないという直感がもしも「本当」なのだとしたら、とんでもねえ伏線回収だなとは思うけど、も……!!!ああ、でも驍宗が死んだというのは、ちょっと、信じがたい。感情的になってしまうと本当ならば本当に悲しい。仮に泰麒に麒麟の力、天からのお告げを聞くあれが戻っているのなら、泰麒は既に驍宗の死を理解しているはずなんだよなあ、そんなん辛いじゃないですか。冷酷になるのもわかる。いや、まだ実際のところどうか解らないけど。はー、私はね、驍宗と泰麒の不器用なペアが好きだったんですよ……大きくなった泰麒と会う場面を見たかった……まだわからんけど……もしかしたら生きてるかもしれない……私達は小野不由美の掌の上で踊らされているだけなんだ……。はあ……。だってこれから二巻あるし……残り二巻で何を語るんだ……どうなるんだ……この続きをきちんと一ヶ月後には読めるというのは有り難いけど既に待ち遠しい……。
 はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっこの物語、辛いですよね。辛いけど面白いんですよね。難しいけどやみつきになってしまいますよね。多分いろんな考察が回ってるんだろうけど見ないでおきます。
 いろいろ言いたいことはあるけどまだ謎だらけなので再読しながらおとなしく待とう!また言いたいことが出てきたらここに書こう!

 ↑白字終わり。
 はーっ次が恐ろしいけど楽しみです。よく書いた!ラグビーを見て今夜は小説を書きます。
 ここまで読んでくださりありがとうございました。

1004「9月の読書記録/雑記」

 10月も始まり、2019年も残り3ヶ月を切ってしまいました。皆様、元気にお過ごしでしょうか。
 9月は途中から事切れたように消えていましたが、なんとかやっておりますし、相変わらずハスボーと戯れる日々を送っています。こんなにもぬいぐるみを愛でる精神が私の中にはまだ宿っていたのか……と自分でも奇妙に感じる程度に、しょっちゅう青い身体をふにふにしては抱きながら家で一服し、日常生活で出来た擦り切れた心を癒やしてもらっている日々です。

 

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 そんな9月ですが、読書の方はこれまでの月と並べると群を抜いて読むことができ、最終的には19冊読了することができました。わーい!夜が冷めてきて風呂に入りながら電子書籍を読むようになったのも大きい。あと1冊で20冊だったのできれいに終わらせたかったくらいですが、思いの外梨木香歩の「やがて満ちてくる光の」というエッセイが一篇一篇重たい、というか、ひとつ読んでは噛みしめる、というような感じですたすたと読ませてくれない筆力があり、9月に間に合わせることができずぎりぎり10/1になってしまったことが若干悔やまれます。梨木香歩のエッセイは何冊か読んだことがありますが、そのたびに時間がかかっています。
 9月はなんといっても八咫烏シリーズを読破したことが大きかったですね……。フォロワーさんが読んでたのを見て気にはなっていたのですが、キャラクターの機微がふんだんに表現されて、世界観も深く深く掘り進めてくれる長編はやはり良いものだなと、読んでいても心の奥まで揺さぶられて気持ちがいいなと、改めて実感した次第でした。特に第一部終盤を読み進めるのに苦しみは伴いましたが……本当に苦しくて胸が裂かれる思いでしたが……その苦しみも含めて気になってページを捲る手が止まらない動悸が激しく目は冴えていくという感覚はたまりませんね。今年の序盤に読んだ「新世界より」も苦痛と数多の犠牲を伴う長編物語でしたが、そういった物語が好きなのだと確信せざるを得ません。
 他に読んだ「家なき子」も児童文学ですがとても児童向けとは思えない描写も含まれつつ、旅物を愛する人間にはとても楽しい読み物でした。子供だというのに何故こうも耐えがたい困難が降りかかるのかと、呪われているかのような展開に胃がきりきりしつつも全体に渡っている愛情や優しさが沁みるようで、確かに作者はこれを自分の子供のために書いたんだろうとしみじみ考えさせられる作品でした。好きでしたね。
 八咫烏シリーズと双璧を成して9月私を狂わせたのが美しい彼シリーズで、これは久々に読んだがっつり商業BLノベルなんですが、もう、これに関しては……萌えるとしかいいようがなく……BLは最高だな!吃音症を持つがゆえに幼い頃からいじめられている主人公(攻め)とそんな主人公が高校二年生の時に転校してきた美人で高慢な同級生(受け)の織りなす高校生から大学生にわたる物語なんですが、二人の成長も、擦れ違いも、気持ちが合わさった時の幸福も、キャッチーな言葉選びではあるのですが丁寧に書かれていて、読んでいてもどかしさもあり気持ち良くもあり、異様なまでに夢中になって読みましたね。勿論(?)ね、この手の話にはあって当然のツッコミどころはありますよ、でもね、そんなのはどうでもよくなるくらい本当に楽しかったし、文章もお上手ですらすら読めるし、ご褒美おせっせは激しすぎないけど淡泊すぎない個人的にはちょうどよいえっちさで……とっても可愛い汁が出ています(言い方)(下ネタ苦手な方ごめんね)……はあ……物語から得られる萌えってこんなに心を潤すのかと久々に味わったような感覚で、BLは最高だな!(二度目)どれだけはまったかというと、うっかりドラマCDを買ってしまう程度には閾値を突き抜けていきました。YouTubeでかいつまんで音源を聞いてきたことはありますが、がっつり買って聞いたのは初めてでした。小野友樹斉藤壮馬がメインキャストで……それはもう上手かったです……。原作より脚本はシンプルでしたが吃音も可愛さも流石としかいいようがなく表現されてて大変満たされてしまいました。売り上げが好評で2巻もドラマCD化される奇跡が起きないだろうか(遠目)凪良ゆうは一般書籍でもこないだ出た本がどうも好評らしいのでそちらも読みたい。美しい彼シリーズは可愛いBLが好きな方にはとりわけはまると思います。電子書籍でも買えます。ぜひ!
 早口で語ってしまったオタクの心境である。
 他の本も語りたいことがありますし、本当は当初の予定では今日から映画公開となった「蜜蜂と遠雷」の話もするつもりでしたが、時間も遅くなってきたのでここらでしめようと思います。
 さあ、10月はついに……十二国記の最新刊がきますね!
 10月12日。ついにあと一週間となりました。嘘みたいですね。まだ先のような気がしていたのに。もうずっとドキドキしています。12,13日は仕事休みにしておきました(どや)あ~っ本当に楽しみです。当日はまさかのナックラーコミュデイが被ってしまいましたがポケGOはポケGOで楽しみながら、十二国記の世界に浸ろうと思います。その前に軽く過去作品をさらいなおしたいところではありますが、最近買った本も読みたい。読んでも読んでも、次から次へと読みたい物語が増えていく。
 なんにせよ、今年の目標としている100冊という節目が見えてきました。10月はどのくらい読めるのか、楽しみです。


 *


 なにかで心にすっと傷ができるたび、もっと、ささやかでいいから優しい方向に傾いていかないだろうか、と思います。でも、なかなか世界の方はそうならない、ままならないから、きちんと自衛したり、自分の方を整えていく方がよほど建設的。
 読書の方はそこそこ捗っていましたが、執筆の方は書けない期間が長くて、それでもふとテキストファイルを開いてキーボードを叩いてみると、文字数はそれほどたくさんでなくとも、自分の予想していたよりもすらすらと言葉が出てきたりします。その瞬間に湧き出すのは喜びというよりも驚きに近く、こうしてブログを書いている今も、終わりまで文章を書けている不思議に驚きます。しかしそれはつまり、からっぽなどではなく、自分の中には何かしらを生み出す源が生きており、それは豊かな噴水のように何もしなくても湧いてくるものではないし、枯れてしまったように何も出てこない時も勿論あるけど、きちんと水を与え、きちんと食べさせて、栄養を与えて。新しいものを入れて思考を動かして、きちんと休めば、またこうしてパソコンを開くのでしょう。
 読書に限らない今のインプットや、どこかもやもやとしながら自分の中で練り込んでいる心が、単純で感情的な形ではなく、いずれ文章だったり、何か別の表現だったりちょっとした挑戦だったり、なにかに変換されて気持ち良く放出できるように少しずつ模索していきたいです。
 Twitterは頭が痛すぎて離れた日からずっと見ていません。予想が当たっていれば、たぶん、ハウグラ関連に関しまして何かしらのリプライがあの日来ているとは思うので、それが心苦しくはあるんですが……。まだ暫く見ないつもりです。でも死なない限りはいつかは戻ります。
 ここまで読んでくださったあなた、ありがとね。

0526「夜風に当たりながら」

 五月とは到底思えない猛暑日が続いていますが、皆様体調は大丈夫でしょうか。
 一昨日くらいから急に真夏の気温になってますが、私はそうは言っても空調のきいた室内でばたばたとしているので三十五度だの何だのという異常気温をまだ自分の肌で実感しておらず、ただ朝歩いているだけで汗が滲むのでその気配は感じています。
 けど、まだ湿気がついてきていないし、夜は過ごしやすい風が吹いている。熱帯夜じゃないあたり、まだ夏は来ていないのだと実感します。
 カーテンを閉めて窓を開けながら水を飲みつつそのすぐ傍でこれを打っているのですが、カーテンの裾が揺れてその下から流れ込んでくる冷たい空気がお風呂上がりの火照った身体に気持ち良く沁みます。仕事やなんやらで疲れた身体や心にちょうどいい。
 いつまでもこんな心地良い風が吹いていたらいいのに。
 地球を纏っている分厚い温室効果ガス(あくまでイメージの話です)にぷすっと穴を開けて、風船のようにその内側にたまった熱を宇宙空間に放出できないものかと(あくまでイメージ略)長いこと想像しているのですが、そういう風にはいかなくて、どうやら確実に地球は風邪引いて熱を出しているんだなと。スケールが大きすぎる。最早どんな異常気象が起きても当たり前になってる。
 怖いですね。
 夏という情景やイメージを愛しておりますが、ここ最近の異様なまでに肌に突き刺さる凄まじい太陽光の強さや籠った空気には辟易してしまいます。納涼という趣深い概念をぜひ返して欲しい。
 しかしそうはいっても季節は巡るし、今年の梅雨や夏は一体全体どうなってしまうのか想像もつかないけれど、体調管理だけはしっかりしたい五月末。皆さんもどうぞ水分補給はしっかりして気をつけてくださいね。ほんとうに。

 とりとめもないお話でした。久しぶりにポケモンBWのBGMを聴きながら。
 それにしても本当に涼しいです。夜は。
 だいぶ部屋が換気されたような気がするので、ゆったり好きなことをして過ごします(訳:明日は休み)。

0430「平成」

長いようで短かったような気がする。

私はどちらかというと過去を振り返りたくない人間で、遥か彼方に戻れば保育所時代、直近で言えば大学時代、そういった社会人に至るまでにどこか属していたコミュニティのいつの時代も戻りたいとは一切思わない。その時々で出会ってきた人で今も合流している数少ない友人はいるし、刹那的で楽しい思い出もあるのだが、どうにも根がネガティブなのでどうしても後悔や漠然とした苦味ばかりが目立ってしまいその時に感じた苦労をもう一度繰り返したくないという気持ちに呑み込まれる。苦しみながらどうにか終わらせてきたものを何故もう一度経験したいなどと思うか。過去に戻っても同じ思いを味わう自信がある。私は今が一番とまでは言わないけれどとにかく過去には戻りたくない。その思いに突き動かされるように今を生きている。失ったものを取り戻したくなることもあるが、所詮失ったものはたとえ何度やり直しても失うことになるのだと思う。過去は変えられないが今は多少変えられる。

けれど過去がなければ今はなく、過去がなければ未来もない。過去に出会ってきたものや過去にぶつかってきたものが今の人生を形成していることには変わらない。

この三十年に駆け巡ったニュースのまとめを見て、実に濃い三十年だったのだなと思う。バブルは崩壊したけどなんとか楽しさを見出そうとしていた。日本は戦争にこそ参加しなかったけれど、周囲は戦争をしている。ベルリンの壁だって破壊されたのはつい平成の話だった。多くの災害に飲み込まれた。ビルに飛行機が突撃した。恐ろしいほどのスピードで技術は発達し、元年にはネットのかけらもなかったはずだろうが、終わりぎわではネット社会と化し誰もが掌にそれを握り締め園児ですらYouTubeで育ちiPadを操っている。これ以上どう育つのだろう。どのように進化していけるのだろう……問題を抱えたままで。

戻りたくはない時代。楽しくてでも苦い時代。未来に大した希望を見出せず今を生きることにただ精一杯だ。だけど何故か漠然とこの生きている間に出会ってきたものや人に対して、今この時でよかったなと思うことがある。今この時。天皇崩御でない形で元号が変わろうとしている。日々は変わらないが、生きたまま時代が変わる。新しい意味を与えられた言葉が誕生し一般化されていく。華やかな願いとは裏腹にきっと息苦しい困難な時代になることを覚悟しなければならない。仕事をしたりネットにどっぷりと浸かった生活をしていると、結局、人と人との繋がりとかいう、誰とも簡単に繋がれてしまうからこそ希薄になりつつあるそういったものが鍵になる予感もしている。

しかし、ただ元号が変わるということでこれだけお祭り騒ぎになるのだから結局日本人て能天気でおしあわせな民族で、そういうところがお茶目でいいところ。

ただ一つ確かなのは、同じ時代に出会って今も付き合っているような貴重な存在は愛すべきだということだ。

さよなら平成、私たちの象徴。ありがとう、この時代に出会った人たち、ものたち。過去は消えていく。どうやら私も生きたまま一つの区切りを超えられるらしい。直接戦禍に巻き込まれることのない平和な時代に生まれたことは本当に幸福なことだ。平和ぼけを自覚して思う。私の、そしてあなたの未来を豊かにできるのは自分自身だけだよ。

0318「Kindle paperwriteのススメ」

 本といえば紙のものであり、電子書籍の便利さくらいよくわかっていたのだけれどなかなか踏ん切りがつかなかったんですが、新年早々あたりからKindleを導入していました。

www.amazon.co.jp

 Kindle paperwhiteの防水タイプなんですけれど。
 前々から興味はあったんですけど、これの前の型は防水じゃなかったんですね。防水だったら買うかもなーと思ってたんですが、出てしまったんですよね、最近になって、防水タイプが。
 今年の目標は年100冊読むということと、あと本棚があまりにも溢れかえっててこれ以上増やしづらいということ、そこに防水タイプのKindleが発売されたというのを知ったが最後、ポチっておりました。
 便利なんですよ、これが。もうびっくりするほど。暇なのと創作をする気力が沸いてこないのでここらでご紹介したい。


①軽い
 一にも二にもこれが殆ど九割だなと思います。軽い。
 iPad miniとサイズは然程変わらないと思うんですが(iPad miniを持ってないのとサイズ比較するほど熱心ではないので具体的なところは割愛)、つまり片手で全てがまかなえる。いや、本って、そりゃ、ものに寄りますけど、基本的には重量があるじゃないですか。それが一切無い。もうね、去年秋に養生旅行と称して本を何冊も持って旅館に突入して読書・温泉三昧したことがあったんですけど、凄まじく重かったですよ、鞄。京極夏彦を買っても重さと厚みは変わらないんですよ。いや、これを導入してから読んでないですけど。京極夏彦。これが読書するのに物凄く楽で。ページを捲るスピードは多分人それぞれ許容範囲は異なるでしょうが、私は普通の紙の本を捲るのとほぼ変わらない感覚で読めています。
 寝転びながら本を読む。いつの間にか寝るまで。それが簡単にできる。就寝時の読書については多少試行錯誤してきたんですが。軽いので、仰向けになってても、横向きになっても、苦じゃないんですよね~凄いです。スマホよりライトは抑えめなので眼に然程負担もかからない。寝る前の読書が捗ります。凄い。夢のよう。
 そのへんに出かける時も文庫本の厚みと重みはまあ馬鹿にならない。正直それでもお気に入りの本は持って出たりしますが、お気に入りの本と読みかけの本の、読みかけの本が軽くて薄いKindleになるだけで全然重みが違って……ありがたい……電車移動の際もすっと出してぽちっとスイッチ入れてすっと読み始められるしスイッチ一つでオフにできるのでめちゃくちゃ便利です。機動力が高い。

②防水
 風呂で読める。台所でも読める。
 
まあ台所では大抵イヤホンで動画見てることが多いんですけど。
 風呂で読める。まあ、防水スマホ使ってる人だったら最早スマホでその恩恵を受けられるんですけど、私はiPhone6sなので防水が実装されていないんですね。風呂に持ち込む時はジップロックに入れていじってるんですけど。
 多分読書時間をこれまでと比較してやたら増やせているのはこの風呂で読んでるのが一番大きいと思う(次点で寝る前)。
 水滴にけっこう反応するので勝手に操作されてページ進んだりフォントサイズが変わったり勝手に選択されたり水滴や湯気で若干見えづらいという欠点はあるんですが、個人的には許容範囲です。風呂で楽に読めるメリットに比べれば。軽いですしね(何度でも言う)。
 生活環境においてもう一つの水回りである台所でも読めるというのも、私はやってないですけど、料理本をDLしたらけっこう便利だと思うんですよね。私のような一人暮らしワンルームの台所はめちゃくちゃ狭いので特に。ただモノクロなのでカラフルな写真が満足に見れなくなるという欠点はありますが……このあたりはiPadの方が数倍上手をいくだろうなという気はしています。
 この防水機能があるから購入に踏み切ったので、今のところは満足しています。

③辞書機能がついてる
 これが便利なんですよ。
 正直スマホに比べればタップによる文章選択機能はあまりにも酷いんですが(これは今後向上していただくことを期待したい)、単語程度ならただ長押しするだけで大体うまく反応してくれます。で、搭載されている辞書に載ってる単語であれば検索かけてくれるんですね。これね、便利です。私みたいに語彙力が無い人間は、本を読みながらこの単語ってどういう意味だ? という言葉に沢山巡り会うんですよ。スマホで軽く調べたりもしますが、それすら面倒臭いのと、熱中しているとあまりページから眼を離したくない瞬間とかも、あるじゃないですか。知らない言葉に出会っても前後の文脈からなんとなく意味は理解できたり、その単語が理解できずともおおよそ流れは把握できることも多いので、なあなあで読み進めることしばしばな人間なんですが、読みながら、画面はそのままで、お手軽に辞書検索できるんですよ。無知な人間に優しい……。あと選択した文章をメモとして保存できる。この文章いいな、を付箋とか書き込み無しで保存できる。選択機能が酷いので苛々しますが。いいなと思った文章は手帳に書き込むタイプの人間なので、書き込む手間が削減されます。それでも書いたりするけど。
 小説書くのに使ってるポメラDM100くんも国語辞書が搭載されていて実にお世話になっており、辞書搭載機には常にお世話になっています。

④現実の本が増えない
 図書館で借りればええやんという話でもありますが。
 それでも増えたりするんですけどね。本屋に行くとついね、買ってしまうんですよね。でも今Kindleで買ってる分をもし紙の本で購入していたとしたらまた凄まじいことになっていたことを考えるとね、馬鹿にならないんですよね。
 それでも買うんですけどね、紙の本。十二国記は背表紙での並びが美しいというのと、現実問題アマゾンストアで電子書籍として売られていなかったということがあるので、そういうこともあります。だいぶ電子書籍も充実してきているのですが、なかなかすべての本が電子書籍でまかなえるとは、到底思えないですしね……逆に廃刊になった本が電子書籍で復活したものもありますし、一長一短です。

Wi-fiさえあれば1クリックで買える
 これはメリットでありある意味デメリットでもあるんですけど。マジ、恐ろしいです、電子書籍。気付いたらけっこう引き落とされたりしますもん。私は本に関しては財布ゆるゆるになるうえあまり後悔しないタイプなのですが、それでも恐ろしいなと日々思います。あんまり漫画には手をだしてないんですが、漫画もこれで本格的に読むようになったら目まぐるしい勢いで金が飛ぶでしょうね。元々は漫画が一番本棚で嵩むので(連載ものは巻数が増えるからね、仕方がないね)漫画を読めれば一番いいと思って買ったものの、そこには踏み出せない恐怖感。
 ただ、もうね、楽なんですよね。本屋、好きですよ。図書館、好きですよ。大好きです。これからも行きます。けどね、1クリックで、今読みたい、続きを読みたい、次の本を読みたい、を手軽に叶えられるスピード感は、凄い。
 未知との出逢いをしようと思ったら本屋や図書館には負けるかなーと思いますけど、「これを読みたい」と具体的に決まってて、アマゾンストアに電子書籍版があれば、けっこう電子書籍で読むようになりました。本屋で見かけて、家に帰ってKindleでDLしたりもする。便利な世の中になったものだ……。

⑥読書に集中できる
 スマホのアプリでKindleならあるじゃないですか。Kindleに限らずいろんな電子書籍があるじゃないですか。あらゆる面で、スマホの方がすっすっとスムーズに動くのでめちゃくちゃ便利だったりしますよ。
 でも通知が無い、ゲームも無い、ラインも無い、純粋に文章のみ。集中できます。私はかーなーりー集中力欠きやすいタイプなので、漫画より集中力を必要とする(個人的にはそう思ってます)文章は他に何も無い電子書籍専用リーダの方が圧倒的に良いです。スマホでするする読めてたら買いません。


 ぐらいが、私がKindleで特に良いなあと思った点かなあ。
 勿論、メリットばかりじゃないですよ。
 ページを捲る感覚は、もちろんタブレットにありません。厚みだって、重みだって、良さの一つだったりする。装丁は、電子書籍で味わえるはずがない。紙の醍醐味は、失われる。
 あと、とても思うのが、「このページに戻りたい」や「あの文章どこだっけ」でページをぱらぱらと捲ってすぐに戻れる感覚は、どうしても電子書籍にはありません。これが一番、デメリットですね、私にとっては。そのための栞機能やメモ機能でもありますが、それで全てをカバーできるわけじゃない。ふと、あの場面のあたりを読み返したい、という望みは大体叶いません。この点の機動力は紙が圧倒的に強いです。なので、これは何度か読み返したいな、ぱらぱらと気軽に捲りたいなと思う本は、結局紙で買い直しています。その点、十二国記はたとえ電子書籍で買ってたとしてもどうせ紙で買ってたでしょう。
 紙の良さと電子書籍の良さはそれぞれあるので、一概にどちらが良いというのは、結局言えないんですけれど。
 ただ、Kindleを導入したことで読書量が格段に増えたのは間違いないし(現時点今年に入ってから読了した本の約六割は電子書籍)、読書という娯楽をもっと楽しめている。
 紙と電子書籍。選択肢が増えたこと。選ぶのは、読み手の問題。結局、紙と電子書籍、同時進行で読んでいるような現状です。
 そういうわけで、今日も読書ライフに勤しんでいると。
 Kindle paperwrite、いいですよ。お値段をどう思うかは人の価値観によるのでなんともいえないですが、読書が好きな方なら買って損は無いんじゃないかと!

 ずらずら書いてたら四千字に到達していた。
 終わり。

 

douga no koto

 

 そういうわけで。
 2/22になんとか無事にアニメ風PV動画のおよそOPサイズ版をあげることができました。
 これについてなかなか込み入った話ができなかったなーと思うんですが、時間が流れていくほどに現実とかその他の娯楽とかに現実とかに揉まれて熱が少しずつ冷めていって、細かくここはこう!ここはこういう思いで!とかきちんと語る気力が失われていく感じがありまして。
 まあそういう制作的な裏話というのは流れていってあっという間に消費されていくツイッターでやっていけばいいと今は思っています。だからここには、この動画を作って、だいぶ完成に近付いた時に感じたことを簡単に自分メモも兼ねて残しておきます。

 まっしろな闇は、POKENOVELでも自サイトでも、白背景に黒文字のみの、ごくシンプルなページにしています。それはタイトル等から彷彿されるイメージを重要視しているからです。
 “It’s white. However, it’s dark.”
 プロローグに載せている文章。自サイトの長編ページの表にも、この文章を掲げています。
 だからか、この物語にはどこか白とも黒とも、無色ともいえる、とにかくごく限られた色の世界のイメージがあって、それはこれが小説であって、文字で作られている世界であるということも起因していました。
 これから言うのはごくごく、当たり前のことなのですが。
 今回動画を作るにあたり、キャラクターに色をつけ、背景をつけ、加工したり、動かしたり、ある程度本編で実際に起きたこととは異なっていても、物語そのもののイメージにはできるだけ忠実に作っていました。理想が無駄に高いために追い込まれてもいました。
 背景も一通り描き、動きも増やし、2/22の直前のあたりで、もういつでも出せる、本当に完成が近い、と確信を得た頃に。ふと。
 動画を見返して、繰り広げられる色鮮やかな世界。自分で作ったものだというのに、それは自分の脳内に描いていたものを形にしたはずだというのに、何故だか衝撃を受けて。
 緑の森の中に溶け込むクロ。揺れる炎。笑うラナ、セルド。飛び散る血。夏の空、入道雲。少年少女と彼等のポケモン達。クロの脳裏に過ぎる記憶。夕陽の眩いトレアス。眼を合わせ、額を重ねて心を通わせるクロとラナ。同じ髪色を持つ母と娘、どちらの隣にも寄り添うブラッキー。見上げて、暗闇。黒の団を前に、膨らませる炎のイメージ。正面を見据える深緑。火閃。展開される戦闘描写、火炎放射、銀色の風、火閃の炎。背中を合わせるクロと圭、緑とオレンジ、火閃と五月雨。ネオンライトの輝く首都の上空、夜中に嗤う真弥。念力を発動させ、今の主を守るように前に立つエーフィとブラッキー。その背後、栗色の髪を揺らし、顔を歪ませるラナ。微動だにしない背中と、揺れる炎、刃からこぼれ落ちる誰かの血、赤。
 展開される世界、アーレイスという国を舞台にした旅の物語。そのたったひとかけらに過ぎない、様々な要素がまだ足りていない、あくまでおまけの動画だけれど。
 この物語は、白や黒に限らず、無色ではなく、むしろ極彩色の世界が広がっているのだと。それはつまりちゃんと人やポケモンや自然や町がこの物語のうえで息づいているのだと、それがものすごく、いいな、と思えまして。あーちゃんと旅物語じゃないか。皆、生きてる!!!!!と。
 何を今更、でしょ。
 だって、脳内で描いている物語の映像というのはいつも色とりどりのはずなのに。それほどに、色をつけて形にするのはなかなかのパワーがありました。
 生きてる!!!!!
 それを実感しただけでも、この動画には私には実に大きな価値があります。
 作って良かった。
 本当に。

 とはいえ、このたった1分40秒ではこの物語を語りきれるはずがなく。一応フルバージョンも作りたいと考えていますが、ちょっと休んで、やっぱり作ろうという力がまた湧いてきたら、手をつけます。

 最後になりましたが、この動画作成にあたりずっと支えてくれた人がおりました。ラフ動画の時から、何度も何度も進捗を報告しては、褒めてくれて、モチベーションを保たせてくれました。当初、ウォルタ編の途中までしか読んでいないというのにずっと押しつけ続け、しかし最後、完成形を渡した頃、最新話まで読んでくれたという猛者。本当はスペシャルサンクスに個人名として出したかったけど、事情があってやめました。でもきみがいなかったら間違いなくここまで作り上げることはできなかった。とり、ありがとう。
 そして、読者さん。ここを読んでいるかわからないけど。もうツイッターでも言ったけど。
 読まれているからこそ続いてきた物語です。だからあなたが居なければ辿り着けなかった地点です。でもまだ続いていきます。良かったらお付き合いください。

 要約すると、動画を通じて、改めてこの物語の良さが見えたよ~!っていう話です。
 ありがとう動画!

 終わり。