0527「ひなげしと最近のこと」

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 おわかりいただけるだろうか。
 以前このブログで話をした道端に咲いていたひなげしがこれ。詳しくは五月七日のブログ記事を参照。
 今度は立ち止まって写真を撮ろうと思うとかのたまっておきながら一向に実行しなかったのだけれど、これは確か傘もささなくていいくらいほんのぽつりぽつりと小雨が降っていた朝、歩きだったのと周りに人がいなかったのでさっと撮ったもの。もっさもさしてる。ほぼ歩きながら撮ったので適当なのは見逃してほしい。実は今日のものではなくて二日か三日くらい前の写真なのだけれど、どうにもブログを書く時間が撮れなかったり気力が無かったりで。ようやく顔を見せることができたのだった。
 毎日このひなげしが咲いている道を通っているのだけれど、なんだかんだ、代わる代わるいくつか花が咲いている。咲いては落ちて、また咲いて、を繰り返して、一ヶ月ほどが経とうとしているのだろう。自転車で前を通るたびに穏やかなオレンジ色を視界の端にとめては仕事に向かっている。さっと横切るその瞬間に花の数を数えたりする。
 昔、中学生の頃。地元の登下校路に川があるのだけれど、その頃も毎日自転車を走らせていて、その川を大きな下水路のようなコンクリートで固めた円筒(うまく言葉に表せない)が横切っている。私の地元は強い雨が降るとすぐに川が氾濫するような、水害に対して脆弱な場所なのだけれど、そこは晴れていれば当然穏やかな川だ。雨量が多いとその円筒は荒々しく高くなった水面の下に隠れてしまうのだけれど、普段は上三分の一ほど見える。そこに、昼間から夕方にかけて、太陽の出ている間亀が甲羅干しにやってくるのだった。多分ミシシッピアカミミガメ(地元は彼等に完全に浸食されていると思われる)で、その数多ければ二十匹ほどそこにやってきて、それはもう円筒の上に溢れるほどたむろしていた。
 なぜ急に亀の話をし出したかというと、中学生の私はこの川を自転車で走り抜けるたびに、その一瞬の間に亀の数を数える謎の日課があったからだ。特に意味は無い。記録をするわけでもない。ただ数えるだけ。今日は少ない、今日は多い、その程度しかない。けれど毎日、亀がいる日は欠かさず数えていた。冬は日が短くなり寒くなって全然見かけないのだけれど、暖かい時期や夏の暑い時期はたいていいる。春が近付いて亀を見ると今年も亀(春)が来たなんて感慨に耽ったりしていた中学生時代を過ごしていた。高校も同じ通学路ではあったけれど基本的に遅くなる日ばかりだったので亀との遭遇率はがくんと落ちた。しかし、今でもその名残で帰省してその川を通るたびに亀はいないか見てしまうし、いれば数えてしまう。癖というのは恐ろしいものだと思う。
 今、ひなげしの花をつい数えてしまうのもまた、その時の名残の他無い。
 謎の日課は今でも続いていて、恥ずかしいのでそれは誰かに声を出して話すようなことでもないのだけど、今ネットの大海に向けて自分の変な癖を発信しているのは独特な感覚。誰かしらあるでしょう、変な癖。私、ごく普通の一般人ではあるしできるだけ普通でありたいまっとうでありたいと思っている人間なのだけれど、良くも悪くも人とずれているところがあり、この数え癖はその変な部分のうちの一つ、代表的なもものだなと客観的に評価している。矯正するほどのものではないしある意味自分では個性と認めている部分でもあるのだけれど。

 なかなか日々は大変です。覚えることは膨大。五月は少しだらけていた期間もあったのだけれど、ちょっとスイッチを入れ直しているところ。そうなるとどうしても家に帰ってからも復習とか勉強に時間を割くことになる。趣味のやりたいことではなく、仕事関係のやりたいことややらなければならないことを優先することになる。でもそれは仕方のないことだろうと思うし、割り切っている。求められているレベルに達するにはそれなりに努力をしないことには辿り着かなくて、身に付いていないと思うのなら身に付くまで繰り返すしかない。驕らず、過信せず、誤魔化さず。
 ツイッターで仕事が落ち着いたら趣味を再開しようと考えている奴は絶対に戻れない、最初から趣味を生活に入れることを意識しろ、といったようなツイートを見かけたことがあって、社会人になる前は両立させた日々を送りたいと考えていた。現実はそううまくはいかないなあ。ちょっと前はそれが辛かったんだけど、現在は受け入れつつあって、それって良いことなのか、悪いことなのか。
 でもじゃあ無趣味の生活を送っているかというとそういうわけじゃなくて、アニポケはばっちり見ているしむしろもうすぐ追いつきそうだし、ブログネタも拾いながら生きているし、なんというか仕事関連もやりたくないことでは決してないわけだ。まああまりにも疲れていると家での勉学は苦痛なんだけど。
「今」やるべきことを、「今」やらなくてどうするの。
「今」やりたいことを、「今」やらなくてどうするの。
 と、自分に発破をかける意図もこめて。やりたいことには優先順位をつけています。優先順位の高いものから。低いものは、休日の時間のあるときに。そうしていないと、こころが乱れるから。ああ、今週もまた始まり、五月の終わりと六月の始まりがやってきますね。五月の終わりには、自作のとある子が誕生日を迎えます。お祝いを用意できるかはわかりませんが用意したい。ちなみに六月には自分の誕生日が控えています。わはは。太宰の誕生日でもあり、桜桃忌でもあるその日です。
 さて、新年度が始まってもうすぐ二ヶ月経とうとしている今、このブログを読んでいるあなたは、どんな生活を送っていますか。元気でやっていますか。元気だといいな。また今週も、頑張っていきましょう。

0520「映画館プレミアムシート経験記録」

 ちょっぴりご無沙汰。
 先日言ったとおり今日は久々に大学時代の友人とデジモンtri.行ったり食べたりしていた。
 私の会社も福利厚生で安く映画を見ることができたのだけど、友人の方は更に安く(なんと補助金のおかげで400円)、破格の値段で観に行ったのだった。tri.ももう三週目に突入したところだったし先週の日曜に観に行った時は割と席が空いていたので余裕だろうと思っていたらまさかのほとんど満席で、空いているのは前三列か一番後ろのあたりのプレミアムシートぐらいだった。プレミアムシートは追課金(200円)しなければならないので金を払っていい席で観るか金を払わず首が痛くなるのを覚悟するかのかなり究極の選択だったのだけれど、もともと一般料金なら1800円なところを400円で観る予定だったので200円くらいなら出して良いのでは? ということで初めてのプレミアムシートを体験したのだった。
 それは飛行機でいうファーストクラス。新幹線でいうグリーン席。この200円についてどう思うかは人それぞれだけれど、課金するだけの価値はあったように思う。
 まず椅子。ふかふか。沈む。そして広い。ゆったりとくつろぐことができる。普通の席でもそれほど身体が痛くなるような案件は今まで無いし大体整備されてる映画館にしか最近は行っていないけれど。子供の頃は地元の映画館はなかなかに椅子が固く座っていてちょっときつかった思い出があるけれど、今は一般席でもなかなかふかふかでうっかり寝られそうな居心地だったりしますよね。しかしプレミアムシート。肌触りも良い。ほどよく沈む。そして何よりなんとレッグレストがついている。当たり前だけれどレッグレストを出しても前の席がかなり遠いので足を伸ばしてもまったく無問題。背もたれも一般席よりも倒しておりほぼ寝転んでいるような体勢で観ることができる。正直余裕で安眠できる。寝なかったけど。始まる前は自分の足が視界に入るので鬱陶しいかと思いきや、始まれば暗くなるので殆ど気にならない。計算されている……。
 そして始まると、轟音部分(デジモンだと戦闘シーンなど)でかなり振動が背中に伝わってくる。今時は音響等が良いので4Dでもない一般席でも震えたりするけれど(尤も私は映画館で4Dを経験したことはない)直に背中が振動する。鳩尾の底が刺激されている感じで、なかなかグッとくる臨場感を演出してくるのだ。そこまできつくはないので好みを左右するほどのものではないかと思う。
 デジモンはいうて100分程度の短い映画だけれど、あの座り心地の良さや地響き感は上映時間の長い映画でこそ生きる気がする。
 そういうわけでまさかまさかで席が埋まっていたために選択したプレミアムシートだったけど、なかなか貴重な経験をした。基本的にケチな性格ではあるけれど、追課金をしてでも座る価値はあるんじゃないかなーとは思った。こんなことを言うと婆くさいけれど、椅子は結構腰や肩等に対して重要な問題なんでね……。因みに今このブログも椅子に座って打鍵しているけれど、安くて固い椅子なのですぐに腰が痛む。辛い。
 機会があれば是非。

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 先週と、今日の入場者特典。それぞれポストカードと色紙。
 いつもより豪華なような。絵コンテって本番の絵と違った味があって良いなといつも思う。絵コンテだからこその勢いや影が良い。色紙はカラーで、最終章らしい感。一緒に行った子も男子組だったので二枚つなげることはできず。入場者特典にはそれほど大きな興味を持っていないのでいつも行き当たりばったりで貰っているのだけれど、女子組の絵を見るために今公式サイトに飛んだら四週目も特典あることを知って、しかも渡辺けんじ描き下ろしのポストカードに震えている……それはちょっとほしかった……いや行かないけど……流石に三度目行くほど入れ込んでいないので行きません……。
 映画行って、美味しいものたくさん食べて、とにかく喋りまくって。基本的に連休がとれない生活をしているので日々の疲れを癒やす休日に予定を入れるのもちょっと尻込みする。でも、ひたすら家で休み倒す休日も良いけれど、心置きなく話せる人と接する時間は「心の元気」を貰える貴重な時間で、六連勤の疲労感も吹っ飛ぶようにたくさん笑ってたくさん食べてストレス発散して、愚痴もたくさん言って、聴いて、共感して、本当有り難いなあと実感。人の力って、繋がりって、粗末にしていいものではない。なんて、今のネット活動状況的に私が言えることではないかもしれないけど、そうなのだ。みんな、辛いこともあるし疲れることもあるし仕事が明日から始まることは憂鬱だけど、それなりに楽しむことはしっかり楽しんでいて、なんだか私もガンバローッッとなりました。そういうわけで明日からもまた頑張りましょう。しあわせは自分の力で見つけていこう。

0516「書写・アイヌ神謡集とその他」

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 書写でお茶を濁す。お題はゆる書写ワンライからいただきました。誤字等のミスは目を瞑っていただきたい。
 こうしたお題のいいところは、こういう機会でないと知り得ない文章に出会える点が大きいと思う。

 新人ならではで仕方のないところだけれど、新しく覚えることが多く、そして処理しきれないことも多々。覚えられないなら覚えられないなりにきちんとすぐにフィードバックする等してケアしていかないと、どんどんまた忘れていって、教えて貰ったのにできないことが積もっていって。ちゃんとやらなきゃな、と改めて反省。
 と同時に昨日からやたらと典型的現代っ子が如くのガラスハートぶりが光ってしまっているので、それは先輩方からしても扱いづらい人間だ。でも叱られることや指摘されることにいちいち深く沈んでいたらいくら心があっても足りないので、ある程度の図太さというか、ポジティブ精神は必要というか、強い芯を持ちたい……。
 これからまだまだたくさん叱られていくわけなのだから、そうやって負荷かけることもまた強さに繋がっていくわけで。
 この間報道された、遅刻して叱られて集団過呼吸になった女子高生しかり(あれは精神的なものなのかわからないけど勝手にその類だと思っている)、負荷がかかってすぐに折れるようでは本当にやっていけない。もちろん完全に壊れてしまっては元も子もないので、その点ある程度心を休ませる心得というのは学生時代からそこそこ培ってきているものがあるのだけれど。
 今度は社会人になってかかる、学生とは違う形の、責任の伴う仕事の圧力であったり難しさであったり、指摘であったり、いろんなストレスを受けながら、心も鍛えていかなきゃなあ。というか鍛えられてる。現在進行形で。ありがたいことなんだけれども。
 っていう雰囲気の話を昨日していた。ストレスフリーなんて幻想、生きていたらあり得ない。だから立ち向かっていくしかないぞ、いや自分それなりには立ち向かってるやれるぞ、と奮い立たせてまた明日も頑張りましょう。

0514「アニポケサンムーン」

 アローラ!

 最寄りのレンタルショップが潰れたこともあり元々何かしらの月額制の動画見放題サービスに加入したいと考えていたのだけれど、このたびアマゾンを利用する際アマゾンプライムのおいそぎ配達を無料体験に乗っかって一ヶ月ほど無料でアマゾンプライムを体験してみることにした。
 元々は映画を観たいというのが根本にあったのだけれど、休日ならともかく平日では腰を据えて映画を観る、という時間と気合いがなかなか無く、とはいえそんなことを言っていたら気付かぬうちに無料期間が過ぎてアマゾンプライムが良いのか悪いのかを判断する間もなくまた悩みそうなので、昨日から見始めた。ポケモンサンムーン。
 それほどせっかちな性格ではないのだけれど、アニメの三十分ですらじっくりと観るのがなかなか出来なくなっているので、風呂に入りながらだったり、調べ物とか作業している横でスマホで再生して観るながら視聴だったりではあるのだけれど、なんやかんやで九話くらい今のところ観ている。サンムーン、表情が豊かでいいですね。あと、サトシや仲間達がどんなことでも元気に「ありがとう」って言ったり「すごいな」って褒めたり「力になる」って背中を押したり、なんでしょうね、ストレートで底抜けの明るさに元気が出て、みんなとにかくかわいい。ながら視聴でもちょうどいい軽さ。でもその一方でニャビームーランドだったりモクロードデカバシ達だったり、ドラマ性もあったりして、ギャグとのバランスやだらけないテンポ感が絶妙。序盤だからかまだ技は単調だけれど、進んでいけば仲間も増えて技も増えて進化もあって濃密になっていくんだろうなー。創作の糧にもなるだろうという意図も込めて観ています。しかしアニポケをまともに観てるの本当何年ぶりなのか……。楽しいです。あとカキのCV石川界人には笑いました。あまりのイケメンボイスに何者だよと思ったら石川界人かよ……流石かよ……。ロトム図鑑のCV浪川大輔も笑いました。みんなかわいい。
 他にも観たいアニメは色々あるし過去のアニポケも観たい気持ちはあるんですが、ひとまずはリアルタイムで放送中のサンムーンに元気を貰いながら過ごそうかと。アマゾンプライムについては他にミュージックもちょっと見てみたりしているけどこれは追加課金をしないと満足した内容にはならないかなーという印象。まあぼちぼちと。
 明日も頑張っていきましょー。

0513「triとヤドンうどん」

 暗めの記事を書くとその時の自分の整理にはなるけど読み返すには不向きだ。暗い、というより自分の負の感情をそのまま打鍵するとなんというか恥ずかしいというか目も当てられない状態になっている感があって、まあ投稿した以上今のところ別に消すつもりはないけれど、こういうのは話題が他に浮かばない(つまり自分がどうにも疲れていたりする)時だったり気分がいまいちな時のそれだ。できるだけ暗い話題は避けたいとは考えているけれど、どうしてもそういうものしか出てこない場合というのもあるので、その時は引いた目で見守って欲しい。更新しないときは打鍵するほどの気力もなはいか課題で手一杯になっているか他の遊びに夢中になっている場合です。まあこれも遊びの一環なんだけど。

 昨晩から一泊二日で妹氏が遊びに来た。目的はデジモンアドベンチャーtriの第六章を観るためだった。デジモンに関してはなんというか、毎度そうなんだけれど、一緒に見に行く人とほぼすべて語り尽くして満足するので自分でわざわざ感想を書くほどの熱量は最早あまり残っていなかったりする。
 無印のデジモンは好きだし02も好きなので、ファンとして色々と許せない部分があったのは正直なところだし、さんざんぼこぼこに殴ってきたので今更どうというのもないんだけれど、十年以上も前の作品を一応は未来の形として(私はパラレルワールドとしてとらえているけれど)再び命を吹き込んでくれたのは有り難いことではあるのだと思う。けっこう派手な原作レイプをしてくれたなコノヤローという部分も割とかなりあるんだけど、でも第六章までで尺が足りないなりに頑張ってまとめていたというのは第六章で感じたし、第六章は素直に良かったと思う部分もあったし(最後だったからというのもある)、とあるヤマトとのいちゃいちゃシーン(語弊)の山口さん=ガブモンの演技があまりにも良かったし、最推しの光子郎は参謀らしい活躍を見せてくれたし、リブート関連とメイクーの云々は成程と思ったし、ハックモンの某台詞も良かったし、そして神がかったEDには胸が震えたし、何度も言うけど山口さんの演技と光子郎の活躍とEDは本当に良かったし……良かったんです……。私はあのエンドには納得しているし他にやりようはなかったと思っています(ただし太芽は申し訳ないけど絶対に認められない)。
 なんだかんだ第六章まで走り抜いたのは意地みたいなところがあるし、これがあるからこそそのたびに遊べたというのもあるので、感謝はあるしそれなりの喪失感もある。三年か四年くらいまたいだのかな。意図せず大学生活と共に歩んできた感はあるし、その間に和田さんが亡くなって……本当にいろんなことがあった。貶しながら、わくわくもしながら、怒りながらも、結局なんだかんだ楽しんでいたのだ。終わったのだ。複雑なさみしさ。まあどうも続編があるらしいけれど。その時はまた不安を抱えながらなんだかんだと劇場に足を向けるのだろう。
 何度も言うけど山口さんの演技と光子郎の活躍とEDは個人的に本当に良かったのでわからなくてもわかってほしい。
 EDはね……あれは仕方がないね……あれで占められれば何かを許してしまうような気持ちになってしまうね……。
 もしtri.に興味がある人に完走した人間から声をかけるのだとすれば、途中で投げず(投げたくなる気持ちもわかるけれど)観るのなら第六章、最後のEDまで観て欲しい、ということだ。そこまで観ないと話の繋がりが見えてこないというのもあるので……。
 語るほどの熱が無いといいながらちょっと語ってしまった、おかしいな。前述したけれどもう一回観る機会があるので、二回目でまたみえるものもあるだろう、何か残したくなったら書く。

 で、本当はデジモンのことはさらっと書いてうどんのことを記すつもりだったのに最早デジモンのこともタイトルに入れておかないとタイトル詐欺になりそうなので一応そのことも入れておこう。そういうわけでうどんについてなのだれど。
 妹が先月香川県に行ったらしく、香川では四月、エイプリルフールの一環みたいなものでうどん県ならぬ「ヤドン県」としてイベントをしていた。それに行ってきたお土産がこれである。

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 ヤドンうどんだ。

 インパクトが凄すぎると思いませんか。ピンクと白の讃岐うどん、二人前。見た目は桜うどんのそれで、あざやか、可愛らしい。ピンクのうどんは四分の三ほどあり、ヤドンのカラーバランスを彷彿させる。凝っている。うどんなので作るのは茹でるだけ、至って簡単。今日は映画だの本だのですさまじい出費をしたので食費が浮くのは非常に有り難い。冷蔵庫の中には傷みかけているわかめとカットねぎがあったのでそれらをつかってかけうどんにした。

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 具の量が多すぎてヤドンうどんの見た目はほとんどわからないという事故。器の割れた部分は気にしないでほしい。
 ピンク色は茹でると発色が濃くなり、コシの強さを思わせた。そういえば讃岐うどんを食べた記憶が殆ど無い私。するっと食べれるけれどもちもちとしたしっかりとしたコシのうどん。弾力感が印象的。わかめもねぎも大好きなのでたっぷり絡ませて、ずるずるっと美味しくいただいた。ヤドンというコンセプトがとても良い。ヤドン大好きなので。いい幸せのお裾分け。「かんでいると、幸せな気分……」というキャッチコピーもあながち嘘ではない……かも?二人前なので半分まだ残っている。実は白麺をまったく使わなかったので、明日あたり残りを食べる場合は白とピンクの麺で、わかめは使い切ったのでときたまごとカットネギで食べようかなと考えている。ごちそうさまでした。
 さて、明日からまた日常が始まる。たくさんの元気をもらった休日だった。今週は六連勤、自分にエール。

0511「未来というのは希望なのか絶望なのか」

 貯金とか健康とか、要は未来への投資をいつからどれほどと考えるものなのだろう。貯金はした方がいい、健康には気を遣った方がいい、お肌は急に曲がり角にさしかかるからケアはしっかりした方がいい、エトセトラ、理想論はよくわかる。
 まあお肌はともかくとして。
 よく言われるのだけれど今の若い世代が高齢になったとき、年金は払われないだろうという話。銭勘定が大好きな人間なのだけれど、明細を見るとばっちり年金は支払われていて、それが割とがっつりとした額で、そうであることはわかっていたのだけれど、私たち従属人口帯が義務に沿って労働して稼いだお金で支えなければ超高齢社会は壊れるということもわかっているのだけれど、でも既に壊れてんじゃんという気もしなくもなく、完全崩壊をしないようお上は必死に考え現場は足を動かしているけれど、なんとなく私達の未来って終わってませんかねっていう気分にさせられる瞬間がありますよね。何も考えずただ言いなりになって歩んでとんでもない平手打ちを食らうのは他でもない私たちだろう。国内全土から集められる税金総額からすれば個人から引かれるお金なんてまああまりにも微々たるものであるけれど、個人たったひとり分のお金としてはそれなりに大きな割合を占めるわけだ。文句を言いたいわけじゃない、それなりに平等に誰もが背負っていることなのだし。だけど時々嫌だなと子供の駄々のように思ってしまうだけで。甘いと言われれば口を紡ぐ他なく。ぼんやりとした絶望感に駆られたりしながら、結局まずは社会の歯車となることが求められることであり、それに異論は唱えないよ。なにも、世に反旗を翻したいわけでも世に大きく出たいわけでもなくただ粛々と平凡に我慢しすぎず生きていたいだけなのだけれど。ただ生きていればそういう生活は保障されるものなのでしょうか。そういうわけにはいかないんでしょうね。こんな世の中だからこそ自分がどう選択するか、だよなあ。あまりに大きすぎる社会はこの際置いておいて、個人的な、今とこれからまだ長い自分の未来と、どうバランスをとって皆さんやっているんでしょう。それでなくとも生きているだけで金はかかるというのに。
 お金といえばたとえば大学を卒業するまでにかけられた自分のお金。胸がつかえる。それに見合うだけの人間になれるかどうかとか。子供を育てきる親というのは立派すぎやしないだろうか。そして普通にしていれば親が先に死んでいくのだ。隣り合わせであっても普通に考えればより近いのは年齢が上の方だ。ここまで貴重な時間と金を子供に費やしてきたところで、体力は落ちていつの間にか随分老いていたその人に向けて、何をしてやれるのならその不安をとってやれるのだろう。生きているだけで老い、誰かは死んでいく。
 お金の話なんだか親の話なんだかよくわからなくなってきたけれど、こういう不安に雁字搦めになってしまって沈み込んでしまう時がある。仕事中だというのに何故だか親の葬式について思考が過ぎって、帰ってからは母の日のことを考え、そして同時に、お金を使って叶えたい自分の欲求について考えていた。貴方はどう考えてどうバランスをとって、ブラック未来に向けてあらゆるやりくりをしたいと考えていますか。私はぼんやりとした不安が先行しすぎて具体性が見いだせないし、これは今日に限った話ではなくずっと考え続けている課題であるので、とりあえず無難に貯金はしておくべきだなあとこれまた結局理想論に沿ってとりあえずやっておいた方がいいことをやっておこう精神でぼやぼやもやもやとしつつ、明日もあることだし寝ます。

0510「満足度としては六割くらいの休日」

 新生活が始まってから、休日というものがいかに重要で、身体と心を休ませられるかがいかに翌日以降に響くかを実感している。GWは三連休をいただいたけれど、基本的には連休が無い生活なので一日という短い時間の中で、休ませながら、かつ平日できないことの皺寄せをどれだけ処理できるか、が充実性に関わってくるわけで、やりたいことがやたらと浮かんでくるせいで学生時代よりもぼーっとただ過ぎるだけの時間は短くなりそういう意味では実りはあるかもしれないけれど、妙に胸がざわついたまま、焦ったまま、しっかり休まなきゃやりたいことをやらなくてはと追われているかのように夜までの時間を過ごしている気がする。時に気持ちばかりが空回っているような感覚になる。一日しかないからこそ勿体なく思えてしまうのかもしれない。執筆作業も、読書も、映画も、絵も、家事も、課題も、書写も、ゲームも、買い物も、……諸々、こなさなければならないこととこなしたいことが限られた時間に対して多くて、確実に部分的にはこなせているし楽しんでいるのに、やれなかったことの存在感が大きすぎるのだ。満たされた一方で、満たされきれない。少しずつ、少しずつ。焦るな、と言い聞かせながら。

 Aqua Timezの最新アルバムは最寄りのレンタルショップでは扱われていなかった。この周辺にCDショップというのは無くそのためには電車でも使わないことには駄目で、今日は電車を使ってまでの外出をする気力が沸かず、保留とした。
 代わりに買ったのが。

 

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 お金が入ったら買おうと思っていた。漸くである。前作はムーンだったのだけれど、今回はサンの方で。ところで、ゲーム内の時間と現実時間が12時間ずれるのがムーンの時なんとなく最後まで馴染まなくてサンにしたという部分があるのだけれど、まさかウルトラサンも12時間ずれているのでは? ママがカントーと真逆と発言したのがあまりにも引っかかる。まあ、それならそれで、いいんだけども。
 先程パートナーポケモンを選んでハウくんと戦うところまでのごくごく短い序盤のみプレイした。ソシャゲ以外のゲームをやるのがそもそもあまりにも久しぶりだ。最近、特にポケモンは全力ダッシュでプレイして短期間でストーリー攻略しておさらばというパターンが続いていたので、ゆっくりと進めようと思う。それにしてもサンムーン、ハウをはじめとしてけっこう気に入っていたのに、なんだか雰囲気を忘れている感じで、自分に戸惑う。つまりややポケモンから心が離れていたのだけれど、ハウは相変わらず癒やしであるし、まあ、ウルトラはハウに関して賛否両論あるらしいけれど、前情報ほとんど0からプレイするので、まっさらな状態で臨む。とりあえずは遠景の滝らしきものまで映されるグラフィックの奥行きが良い。
 パートナーはムーンの時はニャビーにしたのだけれど、今回はアシマリで。しぐれというNNにした。

 

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 常夏のアローラでは不釣り合いな名前ではあるけれど、気にしないことにした。
 前々からやりたいと思い続けていたポケモンを買ったことも、プレイし始めたことも自分にとっては大きな一歩。やれなかったという燻りを解消するには、やりたいことに一つ一つ触れていくしかない。
 その他、今日は本を二冊読んだり、ちょっと書写したり、美味しい珈琲を飲んだり、追われるような休日とは言ったけれど、たぶん、充実した一日ではあった。特に読書のうち一冊が面白くて。またネタ切れになったら話すかもしれない。語るのなら、いや語らなくても、読み返したいかも。世界一受けたい授業で話題になった「友だち幻想」という新書。職場、あるいはネット、その他、自分を取り巻く環境と自分のこころの在り方について、提案をしてくれた本だった。今の自分の状況を顧みると様々に心当たりがありすぎる。でももう少し。もう少し、自分の諸々を整えてから。
 ブログはそういう意味で、自分の気持ちや出来事を字数を気にせず書けて、整理になるから今ちょうどいいのだ。激動の時期を乗り越えるために。日常に少しでも意味をもたせたいし、訓練でもあるけれど、もしもこれを読んでいる人がいるのなら、読んであまりにも無駄な時間を過ごしたと思わせるような文章ではないようにしたいと淡い目標を込めながら、日々について書いている。無駄な時間とか空白の時間とか、なんでもない時間はむしろ必要な気はしているけれど、それでも無駄だと言われるのはちょっと心が痛む。もしかしたらいるかもしれない貴方の時間をいただくのなら、そして自分が読み直すのなら、それは整頓したものでありたい。